人を救うのは信仰である。

1 死を体験する

 別の記事にも書いたけれど、1月に原因不明の胸痛とめまいで死にかけた。
突然胸が痛くなり、めまいで失神しそうになった。
本当に苦しくて救急車を呼ぶべきか本気で迷い、このまま気を失うとそのまま孤独死するのではないかと思った。
幸いなことに、ベッドでしばらく横になっていたら胸の痛みもめまいも治まった。
後日病院で検査したけれど、特に異常は見つからなかった。

話は変わるけれど、数年前に副鼻腔炎及び鼻中隔湾曲症の手術で全身麻酔を体験したことがある。
本当に完全に意識がなくなり、意識が回復したときには手術はもう終わっていた。
全身麻酔で意識がなくなってから、意識が回復するまでは完全な無である。
人間が死んだ後も多分同様なのだろう。
死ぬ直前と死んだ後をそれぞれ体験できたので、死に対する理解が深まった。
死んだら終わりというけれど、本当にその通りだと思う。
150年以上未解明だった全身麻酔のメカニズム【ゆっくり解説】【ゆっくり解説】9割が知らない雑学

2 科学、哲学、そして信仰

 失神するほど深刻な病気になることはそうそうないけれど、40歳を過ぎてから健康に不安を覚えるようになった。
夜中にベッドの中で体調が悪くなり、息苦しかったり胸が痛いときには、このまま苦しみながら死んでしまうのではないかと恐怖を感じることがたまにある。

特に1月の胸痛とめまい以来、軽いうつ状態のように何事に対してもやる気が出なかった。
いつ死んでも後悔しないように生きようと心がけてきたけれど、それでも迷いは晴れない。
後悔ややり残したことなどないはずなのに、何かが心に引っかかる。
それが何なのかさっぱり分からなかった。
いつ死んでも後悔しないように生きようと心がけてきたはずなのに、今までやってきたことや今やっていることが無意味に感じられて仕方がない。

最近になってようやく分かった。
病気や死の恐怖から人を救うのは、哲学や科学の知識や論理ではない。
人を救うのは信仰である。
今こうして苦しんでいる自分を神は見ている。
だから今までの人生も、今こうして苦しんでいることも、決して無意味なことではない。
人の心はただそれだけで救われることがある。

3 人間の心

 人生は調子がよいときばかりではない。
運がよいのか悪いのか分からないけれど、哲学や科学などの知識と論理で超克できない事態に襲われる人もいるだろう。
神を信じなければ耐えられない、やりきれないこともある。

人間は、栄養のバランスと適度な運動をとらなければ不調をきたす、この面倒で重たい身体を引きずりながら生きていかなければならない。
体の不調は心にも及び、逆に心の不調は体にも及ぶ。
人の心の弱さを理解できなければ、社会科学など研究しても何の意味もないだろう。
【知らなきゃよかった雑学】人体の欠陥4選【ゆっくり解説】【矛盾】なぜヒトは健康でいたいのに不健康な行動が好きなのか【ゆっくり解説】【ゆっくり解説】9割が知らない雑学

ちなみに、僕が信じる神は遠藤周作氏が小説で表現するところの神である。
高校時代に『死海のほとり』を読んで感銘を受け、大学時代に遠藤周作氏の小説を片っ端から読んだことがある。
今40代も半ばを過ぎてから、そこに立ち戻ることになるとは夢にも思わなかった。

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