Posts

Showing posts with the label 海運会社員時代

Labels

高認数学過去問141 ウガンダ憲法和訳130 ガーナ憲法和訳124 AnimeManga123 アニメまんが123 ザンビア憲法和訳119 ジンバブエ憲法和訳117 ケニア憲法和訳114 高認化学過去問97 高認物理過去問93 オンライン補習塾90 ドミニカ共和国憲法和訳84 ウルグアイ憲法和訳82 Education74 タンザニア憲法和訳74 古文・漢文73 JapaneseHistory70 ナミビア憲法和訳70 日本史70 Story69 物語69 各国憲法インデックス和訳68 マラウイ憲法和訳66 コンゴ民主共和国憲法和訳59 フリーランス時代57 アンゴラ憲法和訳56 法律和訳53 モザンビーク憲法和訳52 ペルー憲法和訳51 派遣エンジニア・設備管理技術者時代51 パラグアイ憲法和訳50 南スーダン憲法和訳50 シエラレオネ憲法和訳49 ボツワナ憲法和訳48 ホンジュラス憲法和訳47 ルワンダ憲法和訳47 Blog46 メキシコ憲法和訳46 グアテマラ憲法和訳45 チリ憲法和訳45 パナマ憲法和訳43 ChineseHistory40 ギニア憲法和訳40 中国史40 ブルンジ憲法和訳39 エルサルバドル憲法和訳38 チャド憲法和訳37 中央アフリカ憲法和訳36 コンゴ共和国憲法和訳35 スーダン憲法和訳34 ニカラグア憲法和訳33 行政書士時代33 ガボン憲法和訳29 マダガスカル憲法和訳29 WebLog27 トーゴ憲法和訳27 DragonBall26 ドラゴンボール26 第二種電工数学入門講座26 Ghibli25 Gundam25 アルゼンチン憲法和訳25 ガンダム25 ジブリ25 Game22 TarotCard22 ゲーム22 セネガル憲法和訳22 タロットカード22 健康・医療22 ベナン憲法和訳20 カメルーン憲法和訳19 論文和訳19 Alternatives18 リベリア憲法和訳18 FamousPerson15 有名人15 Dai14 WorldHistory14 ダイの大冒険14 世界史14 海運会社員時代13 JapaneseRealEstateLaw12 不動産法入門講座12 NPO職員時代11 Hokuto10 RurouniKenshin10 るろうに剣心10 不動産営業時代10 北斗の拳10 学習進度10 ココナラ8 Treemapping7 ツリーマップ7 Poetry5 叡智3
Show more

大王製紙事件。

Image
(From いらすとや ) ・ 【大王製紙】「脱創業家」で実現した「作られた黒字」とは? 、 【大王製紙】製造業「業界3位」は絶望的? ( 政経電論TV )

The Man from Dalian

Image
1. Dalian City  He quitted the company where he had worked after graduating from college to study in China. He was in his mid-twenties and came to Dalian with a longing to go abroad. It was his first time abroad. Everything he saw and heard was new to him, and every day was a series of new discoveries and experiences. Since he was planning to study abroad for a year to learn Chinese, he was able to study the basics of Chinese with his classmates from many different countries at school. He was enjoying his life in China, buying and eating at stores and food stalls, shopping at supermarkets, and so on. But after a few months, he went crazy. 2. Auditory hallucinations and delusions  He was severely confused by auditory hallucinations and the delusions that were constructed by the mental illness. Although auditory hallucinations are created by the brain, it's impossible to distinguish them from actual sounds and conversations. Such auditory hallucinations were completely confused ...

公務員退職しましたという個性。

1 公務員中途退職者  僕は新卒で入った市役所を2年で辞めてしまったけれど、そういう人は今時珍しくもない時代になった。 と言うよりは、公務員を中途退職する人は昔から一定数いたと思うのだけれど、そういう情報を得ることが昔は今よりも困難だった。 僕が20代だった2000年前後はまだ、パソコンもインターネットもあまり普及していなかったのだ。 2 インターネット  僕の記憶では、2010年前後くらいから、インターネット上の情報が充実し始めて、とりあえずネットで検索すれば大体のことは分かる時代になった。 公務員中途退職者が、退職後の人生について情報発信するサイトや、退職後の個人的な生活を発信するブログなんかも読めるようになった。 これはすごい変化だった。 僕が退職した頃は、そういう情報を得ることができなかった。 その後の人生でうまくいかないことがある度に、公務員を退職するなんてとんでもないことをしてしまったせいではないかと、思い悩むことも多かった。 しかし、僕のように若くして中途退職した人が他にもたくさんいてがんばっていることを知ってからは、そういうことで悩むことはほとんどなくなった。 3 YouTube  YouTubeが流行り始めたら逆に、中途退職をアピールする人も大勢でてきた。 「市役所をやめました」「県庁をやめました」「経済産業省をやめました」「学校の教員をやめました」「警察官をやめました」「自衛官をやめました」「国税専門官をやめました」などなど。 最近はそれだけでは目立てないので、「東大卒業して国家公務員になったけどやめました」とか、「慶應卒業して有名企業に入社したけどやめました」とか、もはやカオスである。 若者が何かアピールしようとすれば、学歴や会社など自分が所属している組織くらいしかないだろうし、やめてしまえば昔そこに所属していたとアピールするしかないだろう。 逆に退職前は組織に無断で勝手にYouTubeで情報発信すると、実名ではもちろん、匿名でも身バレしたら大変なことになりかねないので、退職後に発信したくなる気持ちもよく分かる。 昔は想像さえできなかった、大変な時代になったもんだ。 そんな僕はもう、 インターネット老人会 に所属しているのだろう、いつのまにか。

大連帰りの男。

Image
1 大連市  彼は大学卒業後に就職した会社を辞め、中国に留学していた。 年齢は20代半ば、海外への憧れを胸に大連市にやって来た。 初めての海外である。 見るもの聞くものすべてが新鮮で、毎日が新しい発見と経験の連続だった。 中国語を勉強するための1年間の留学だったので、学校ではいろいろな国からの同級生と一緒に、中国語を基本から勉強することができた。 お店や屋台で買い食いしたり、スーパーで買い物したり、彼は中国生活を満喫していた。 しかし、彼がおかしくなってしまったのは、それから数か月経ってからであった。 2 幻聴と妄想  精神病になった彼は、幻聴とそれによって構築されてしまう妄想のため、ひどく混乱していた。 幻聴は脳が勝手に作り出すものだけれど、それを実際に聞こえてくる音や会話と区別することは不可能である。 そして、そういう幻聴が、実際に聞こえてくる音や会話と完全に混同してしまうのである。 ドアの外から同級生の会話が聞こえてきたとする。 その実際に聞こえてくる会話に混じって、幻聴が聞こえてくるのである。 そして、幻聴によって与えられるおかしな情報を整理するために、普通は考えないようなおかしな妄想を構築してしまう。 3 頭の中だけで起こった『007』  例えば、「彼は誰かに狙われている」「彼の周囲で怪しい工作員たちが何か活動している」というような、おかしな情報が頭脳に入力されたとする。 すると、それに対して彼は、もしそれが本当でも生き残れるよう「合理的」に考え、行動してしまうことになる。 こうなると自然に治癒することは難しい。 彼は命を狙われていると信じ込んでいるので、睡眠もろくにとれないのだ。 彼の妄想はどんどんおかしくなっていって、最終的には彼のせいで数名の工作員間で争いが起こり、彼が逃げるように帰国したためその影響で何人かが命を落としたというような荒唐無稽なストーリーになってしまった。 もちろん、それは彼の頭の中だけで起こった事件である。 4 妄想から現実の世界へ  実際には何が起きていたのかと言えば、実は何も起こっていない。 病気のせいで幻聴、妄想と現実の区別がつかなくなって、急に部屋に閉じこもってろくに会話もできなくなった留学生が、彼の異変に気付いて心配した同級生や学校の先生方の助けを借りなが...

時代の変化が夢を追い抜く。

1 命長ければ蓬莱を見る  人は長生きすればいろいろなものを見ることができる。 時には珍しいものを見たりすることもあるだろう。 2000年からの社会の変化、特に技術革新による変化には目を見張るものがある。 僕が大学を卒業した2000年前後にパソコン、そしてインターネットが普及し始めた。 当初のネット世界を、空っぽの洞窟だと評する識者さえいた時代である。 その後、スマートフォンが普及し、インターネットを持ち歩ける時代となった。 2 若い頃の夢  僕が若い頃に夢見たことの一つに、海外生活がある。 アジアの国で現地語をマスターし、言わなければ現地人と間違われるところまで到達したら、現地の生活水準でのんびり暮らすということを夢見ていた。 今でも海外に果敢に飛び出す若者はいるけれど、そういう気質を十分に持っていたのだと思う。 ・若い頃に夢見ていたこと。: https://tanakah17191928.blogspot.com/2019/11/blog-post_8.html 個人的な諸事情で実現できなかったけれど、昔は夢でしかなかったいろいろなことが今は、社会の変化とインターネットなどの技術のおかげで、代替的な手段で満足可能になってしまった。 3 言語の学習  言語の学習について言えば、学習するだけならもはや、わざわざ海外へ留学や就職しなくても何とかなる時代になった。 教材は国内のみならず海外のものでもインターネットで購入できるし、外国語の海外サイトを無料で閲覧できる時代である。 YouTubeで海外のニュース動画を簡単に視聴できる。 僕が若い頃に日本で中国語を勉強していたとき、中国専門の出版社の中国語雑誌を定期購読していた。 NHKなどが出版していた動画教材を購入し、DVDプレイヤーで一生懸命見ていた。 英語学習者は、英字新聞をわざわざ購読したり、NHKのラジオ講座を視聴したり、涙ぐましい努力を強いられていた。 今はインターネット授業で、海外の講師から外国語を教えてもらうことさえできる。 語学学習を相互に助けることができるサイトもある。 海外に行くお金がないという言い訳は、言語学習については言えなくなってしまった。 4 ネット社会  昔から言われていたことだけれど、たとえ海外に行っても、現地にいる日本人...

若い頃に夢見ていたこと。

1 海外への夢  以前、日本語教師に関する記事で少し書いたけれど、僕は40代になるまで海外で生活することを夢見ていた。 ・日本語教師。: https://tanakah17191928.blogspot.com/2019/11/blog-post.html 具体的に何を考えていたかというと、どこか好きな国で就職して完全に定着できないかと夢想していた。 数週間あるいは数か月の海外旅行ではなく、数年間の留学でもいいけれどその後に現地就職して、あるいは留学をすっ飛ばして海外就職して、その国で十年単位で暮らせないかと夢想していた。 2 自然体  精神的にも、そして年を取ってからは身体的にもあまり丈夫ではなくなったので、あまり無理をしないで生きていきたいというのが本音である。 海外に行って華々しく活躍して、キラキラした生活を送りたい訳ではない。 日本にいると意識せざるを得ない常識や世間体を無視して、精神や身体にあまり負荷がかからない仕事や生活を選択できないか考えていた訳である。 現地で就職して、現地の標準的な暮らしをしながら、のんびり生活するのが夢だった。 具体的に行動すれば今からでも実現できそうな、ささやかな夢だと思われるかもしれないけれど、精神的、身体的な弱さが理由で行動に移せなかった。 3 体が資本  数年に一度の頻度で、精神的あるいは身体的な不調、病気になるので、どうしても海外に飛び出す勇気が持てなかった。 海外で病気になったら大変なことになる。 日本では健康保険があり、立派な病院の優秀な医師に診てもらって、入院して難しい手術を受けても所得に応じた負担で済む。 数年に一度の頻度で、精神疾患や身体的な病気で医師に相談して、薬を処方してもらったり時には手術をしてもらったり、これがもし海外だったら情報収集とお金の工面だけで大変な苦労をすることになるだろう。 4 「青春は太陽がくれた季節」  おまけに、若いときにはできても、年を取るとできなくなることがある。 自分が年を取るということは、親も年を取るということである。 僕の場合、父が少し早く亡くなってしまったけれど、もしその時期に海外で生活していたら、病気で苦しむ父やその看病をする母のサポートをすることはできなかっただろう。 若い頃には気軽にできた選択が、年を取ると気...

海外留学や海外就職、大連が近かった時代。

1 この記事を書く理由  僕は時々、お金を貯めて海外留学や海外就職にチャレンジした方がよい、みたいなことを書くけれど、そういうことに疎い人は、「海外に行ける人なんて金持ちだけでしょ」とか「海外で勉強するなんてエリートの人たちの話でしょ」と思う人もいるかもしれない。 しかし、今はもう海外へ行くことが、一部のエリートの特権ではなくなっているし、そんなことは意識の高い現在の若者たちの方がよく知っているのかもしれない。 少し昔の話になるけれど、僕が個人的に経験した海外への敷居が低くなった時代について、ここにメモしておこうと思う。 2  大連に留学した頃 (2005年頃)  実を言うと、僕は海外経験がそんなに豊富でもないのであまり偉そうなことは言えないのだけれど、3か月だけ中国の大連に留学したことがある。 当初の予定では1年以上滞在するつもりだったのだけれど、当初自覚症状のなかった精神疾患が急激に悪化して、緊急帰国することになった。 精神疾患というデリケートな問題なので、病気の内容を詳細に述べることはできないし、無事帰国したから言えることではあるけれど、短期間でも海外生活を経験できたことはよかったと思っている。 月並みなことを言えば、日本で簡単にできることができないという経験や、日本と違う文化に触れるカルチャーショック、今までの築いてきた常識を疑うというきっかけを得ることは貴重な体験だと思う。 3 『サヨナラニッポン』が放送された頃  僕が拙い長文を書いて説明するよりも、下記の『サヨナラニッポン~若者たちが消えてゆく国』という番組を視聴すればよく分かると思う。 ・ 第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『サヨナラニッポン~若者たちが消えてゆく国~』(制作:フジテレビ) 今はどうなのかよく知らないけれど、少し前まで大連就職などアジア就職への敷居が低かった時代があった。 僕が大連に留学した頃にはもう既にその萌芽があったのだけれど、帰国して数年後にそういう時代が本格的に訪れたようである。  政治経済的な時代背景は、日本が円高やデフレで経済が低迷する中、賃金の安いアジアへのBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)が進み、経済低迷下での日本での就職活動に見切りをつけた若者たちが、そういうアジアで現地採用という形で働いていたの...

会社に貢献するには。

1 体を使うか、頭を使うか  よく父や母と話すことなのだけれど、人間というのは体を使うか頭を使って働くものだ。 勉強ができなくても体が丈夫ならどんな仕事でもできるし、勉強ができるならば勉強が不得意な人ができない仕事で食っていける。 実際は、みんな体と頭両方を使っている。 結局は何事もバランスの問題だ。 体を壊さない程度に、精神に異常をきたさない程度に、体と頭をほどほどに使って働いている。 2 汗をかくか、知恵を絞るか  僕は新卒で入った市役所を辞めて、その後民間企業で1年程働いたことがある。 働いて会社に貢献する方法は結局、汗をかくか知恵を絞るしかない。 体を使うか頭を使うかだ。 その会社で簿記を半強制的に勉強させられたのだけれど、そのおかげで資格の有用性や資格取得のこつのようなものを自分なりに考えることができた。 しかし、当時の僕は自分自身の資格やキャリアにしか興味がなくて、会社のために知恵を絞ることができるだけの能力も胆力もなかった。 僕はもっとすごい資格が取れるんだ、もっとすごい職業に就けるんだと半分思い上がり、そして半分は会社のために知恵を絞らなければならないという現実から逃げるためにその会社を退職した。 3 その後の人生  当時の僕は未熟なくせに生意気で本当にどうしようもない人間だった。 そして、この会社を辞めて 大連に留学した時代 は、20代の絶頂から精神病を発症しどん底に落ちた時期だった。 なかなか冷静に振り返ることができずに、ずっと後回しにしてきたような気がする。

20代の失敗。

1 漠然と法律家を目指す  僕は20代の頃、漠然と法律家を目指して人生をさまよっていた。 司法試験の勉強をしたり、不動産会社にいた頃は不動産鑑定士の勉強をしたり、最後には司法書士の勉強をしてみたり。 土地家屋調査士の勉強をすべきだったと後悔した時期もあった。 2 本当はコンサルタントになりたかった  今振り返れば、僕は専門的な知識や能力で顧客に助力する、コンサルタントのような仕事がしたかったのだと思う。 一般的には、20代の若輩者がそのような仕事をしたければ、そのような会社や事務所に就職すべきだ。 知識も経験も不十分だった僕は、それを難関資格で補えると考えて、難しい国家資格に挑戦していたのだと思う。 当時の僕は、自分自身の真意にさえ気付いていなかった。 3 例えば不動産コンサルタント  今考えれば、コンサルティングできるような実力を身に付ける最短の方策は、不動産会社に拾われた時点で不動産コンサルタントを目指し、そのための勉強をしながら仕事で経験を積むべきだった。 3~5年経験を積めば、簡単に転職できるだけの知識と経験を得ることができただろう。 別に今更、不動産会社に転職するつもりもないし、「コンサルタントになりたい」などと青臭いことを言うつもりもないけれど、若かったあの頃に犯した過ちを繰り返さないようにしたい。 4 何でもいいから経験を積んでみよう  世の中、経験を積んで実力をつけることが一番評価されるし、もし資格にこだわり専業で資格試験に挑戦するなら、資格と心中する覚悟でやるべきだった。 資格のコストパフォーマンスや将来性は、一つの判断材料に過ぎない。

法科大学院。

1 たった一度のロースクール受験の思い出  僕は10年以上前に一度だけ法科大学院を受験したことがある。 筆記試験で落ちてしまったのだけれど、今考えれば落ちてよかったと思う。 もし受かって在学中に件の病気を発症していたら、もっと大きな損害を被っていただろう。 今さらこんな昔のことを書いても、おっさんの昔話にしかならないのだけれど、こんな自分の昔の失敗談を語れる教師になりたいと思うし、法律家を目指している若者の興味を引くことができる話でもあるし、何よりそろそろこの失敗をきちんと分析しないといけないとも思う。 2 失敗は分析する価値がある  たまに人生で躓いた人間に出会うと、「その失敗を総括しなきゃダメだろう」と心の中でダメ出しするのだけれど、自分でそれに気付くのは結構難しい。 そもそも失敗した自分を乗り越えて成長した後でなければ、その失敗を総括することもできないものなのかもしれない。 僕は僕自身の失敗を総括できているのだろうか。 3 法哲学にあまり興味がなかった時期に、法哲学を問われるという人生の不条理  法科大学院に落ちたのは準備不足・勉強不足が原因だった。 今までこれで自分を納得させてきたけれど、これで終わったら、「失敗したのは失敗したからだ」と言っているだけだろう。 あまり詳しく覚えていないけれど、出題されたのはパターナリズムやマターナリズムについてだった。 法哲学の分野の問題だ。 当時の日本の法哲学の領域における比較的ホットな問題だった。 このような問題であれば、特定の分野の法律、法律学に詳しい人に有利になることもないので、今考えれば至極まっとうな出題だと思う。 当時の僕にはそれが分からなかった。 なぜこんな問題なんだとがっかりしたし、出題の意図もよく分からず、強いて言えば憲法に関連する問題だという認識しか持てなかった。 4 振り返れば哲学がある  当時の僕は、正直に言って法哲学にはあまり興味がなかった。 学生時代に法理学を真面目に受講して、入門書を一通り読んだ程度だった。 この問題の奥の深さなど知る由もなく、哲学的な論考もそこそこに、ほとんど法解釈でもするようなかたちで底の浅いことを書いた記憶がある。 10年以上経った今、政治哲学を勉強する中で、このような法哲学に関連する議論を参照することもたま...

中国と私。

1 中学生の頃の思い出  中学生の頃、同級生からの影響で三国志が好きになった。 ゲームの三国志(光栄)、漫画の三国志(横山光輝)、小説の三国志(吉川栄治)に夢中になった。 最初に中国に興味を持ったきっかけだった。 2  大連留学時代  20代半ばに、中国語を習得したくなり、海外留学に対する憧れも手伝って、大連に語学留学した。 病気のせいで3か月しか滞在できなかったけど、今では良い思い出だ。 大連は美しい都市だった。出会った人々は、みな優しくて親切な人ばかりだった。 留学したのは、英語がしゃべれないというコンプレックス克服が一番の目的だった。 中学高校大学と勉強してしゃべれないのには理由があるはずで、留学で何か外国語をマスターすれば、壁を越えられると思ったからだった。 当時は、外国語をペラペラしゃべることに憧れを抱いていた。 語学を、就転職で役立つものとしか考えていなかった。  その後、日中関係が悪化したり、中国の抱える様々な問題を知ったりして、中国を好きになったのは間違いだったのではないかと思うようになった。 中国語を勉強するよりも、やはり英語をもっと勉強すべきだったのではと思うようになった。 3 皇后様の御言葉  「私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。 人と人との関係においても。国と国との関係においても。」 最近、病院の待合室でたまたま読んだ雑誌で、上記の皇后様の御言葉を知った。 本当に美しい御言葉だと思った。 大学で政治学を学んだのは間違いではなかったと、そして、中国に興味を持ったのは間違いではなかったと気付かされた。 4 中国を冷徹に分析せよ  中国は大陸の大国だ。 中国を軽視し中国人を蔑視する人もいるが、そのような考えは危ういと思う。 広大な国土と、13億の人口を擁し、経済は発展し、有人宇宙船を打ち上げるだけの技術力もある。 国連安保理常任理事国であり、今後ますます政治大国として台頭するだろう。 そして、核保有国だ。 日本は、海洋覇権国家アメリカの同盟国だが、核を持たない国だ。  日中関係や中国のことを、冷静に分析する必要があると思う。 いたずらに国民感情を悪化させ、対中政策の自由度を狭めてはならない。 国際政治は血も涙もない世界なのだから。

資格試験予備校。

1 司法試験と父との思い出  司法試験予備試験の出願者数が増加しているそうだ。 法科大学院制度は将来どうなるのだろうか。 僕はもう、資格を取って人生をどうこうしようと思ってないので、もうあまり興味もないのだけれど、忘れられない思い出がある。 僕が中国から帰国して間もない頃、当時四国にいた父に会いに行ったときのこと。 2 頭がよくて直言家だった父  父は頭の回転が速いが、遠慮のない物言いをするので、たまに顰蹙を買うときがある。 その時も次のようなことを言った。 「今後どうするんだ、また司法試験でも受けるのか。 ○○○(某司法試験予備校)に入学するには、100万円必要だぞ。 ○○○に通ったって、今のお前には司法試験なんて受かりっこないぞ。」 ○○○は、当時父が勤務していたビルに入居していた、某司法試験予備校だ。 3 もう10年も前の話になってしまった  全国の俊英が我こそはと参戦する司法試験で、精神疾患で苦しんでいる真っ最中の人間が勝ち抜けられるはずがない。 僕自身が一番分かっていることだった。 父は、精神疾患で思考停止中の僕の思考を先取りしたのだ。  もう10年も前の話。 司法試験制度がこんなにも変わってしまうとは思わなかった。 諸行無常である。 ・ 司法試験予備試験(ウィキペディア) ・ 資格試験予備校の黒いビジネスモデル ( 脱社畜ブログ )

死にかけても無知と傲慢が直らなかった僕。

1 地元に帰ってみたけれど  新卒で入った地元の市役所を若気の至りで辞め、1年足らずの勉強で臨んだ旧司法試験に落ちた僕は焦っていた。 司法制度改革により司法試験が簡単になるという情報もあったので、試験勉強よりも若いうちに民間で仕事を覚えた方がよいと判断し、とある海運会社に就職し総務や経理の仕事を経験した。 そこで簿記の勉強を通して、資格試験予備校の有用性を実感した。 それまで資格試験予備校はお金がかかるだけだと思っていたけど、簿記の勉強で利用したTACの市販の教科書はよくできていた。 僕が資格試験の勉強で、予備校の教材を柔軟に活用するようになったのはその時からだ。 2  中国大連留学  その後その会社を若気の至りで辞め、 法科大学院を受験し落ちた 僕は焦っていた。 まだ新司法試験がどのようなものになるのか、はっきり分からない状況だったので、浪人するより留学しながら様子を見た方がよいと判断し、中国に留学することにした。 留学したのは、英語がしゃべれないというコンプレックス克服が一番の目的だった。 中学高校大学と勉強してしゃべれないのには理由があるはずで、留学で英語じゃなくても何か外国語をマスターすれば、壁を越えられると思ったからだった。 結果は、精神を病んで帰国した。 実を言えば、留学直前から僕はすこし調子がおかしかった。 それでも無事帰国できたのは、先生や同級生に恵まれたからだと思う。 結果は散々だったけど、中国で出会えた人々には今でも感謝している。 3 帰国後に死にかける  帰国後、病気療養をしながら、地元の工場で働き始めた。 頭を使うのがだめなら、体を動かす仕事をすればいいと思ったからだ。 ところが、もともと腰が丈夫ではなかったので、腰痛がひどくなってまともに歩けなくなってしまった。 もちろん工場は辞めざるを得なかった。 一番ひどいときには寝たきり状態だった。 夜中に大雨で増水した川に飛び込んだのはそんな時だった。 なぜそんなことをしたのかは、よく覚えていない。 客観的には、精神を病み腰痛で歩けなくなった人間が将来を悲観して・・・なんだけど、そんなでもなかった、僕は案外楽観的だった。 だからなぜと聞かれても、よく覚えてないとしか答えようがない。 そして、なぜ奇跡的に助かったのかもよく覚えていな...