法科大学院。
1 たった一度のロースクール受験の思い出
僕は10年以上前に一度だけ法科大学院を受験したことがある。筆記試験で落ちてしまったのだけれど、今考えれば落ちてよかったと思う。
もし受かって在学中に件の病気を発症していたら、もっと大きな損害を被っていただろう。
今さらこんな昔のことを書いても、おっさんの昔話にしかならないのだけれど、こんな自分の昔の失敗談を語れる教師になりたいと思うし、法律家を目指している若者の興味を引くことができる話でもあるし、何よりそろそろこの失敗をきちんと分析しないといけないとも思う。
2 失敗は分析する価値がある
たまに人生で躓いた人間に出会うと、「その失敗を総括しなきゃダメだろう」と心の中でダメ出しするのだけれど、自分でそれに気付くのは結構難しい。そもそも失敗した自分を乗り越えて成長した後でなければ、その失敗を総括することもできないものなのかもしれない。
僕は僕自身の失敗を総括できているのだろうか。
3 法哲学にあまり興味がなかった時期に、法哲学を問われるという人生の不条理
法科大学院に落ちたのは準備不足・勉強不足が原因だった。今までこれで自分を納得させてきたけれど、これで終わったら、「失敗したのは失敗したからだ」と言っているだけだろう。
あまり詳しく覚えていないけれど、出題されたのはパターナリズムやマターナリズムについてだった。
法哲学の分野の問題だ。
当時の日本の法哲学の領域における比較的ホットな問題だった。
このような問題であれば、特定の分野の法律、法律学に詳しい人に有利になることもないので、今考えれば至極まっとうな出題だと思う。
当時の僕にはそれが分からなかった。
なぜこんな問題なんだとがっかりしたし、出題の意図もよく分からず、強いて言えば憲法に関連する問題だという認識しか持てなかった。
4 振り返れば哲学がある
当時の僕は、正直に言って法哲学にはあまり興味がなかった。学生時代に法理学を真面目に受講して、入門書を一通り読んだ程度だった。
この問題の奥の深さなど知る由もなく、哲学的な論考もそこそこに、ほとんど法解釈でもするようなかたちで底の浅いことを書いた記憶がある。
10年以上経った今、政治哲学を勉強する中で、このような法哲学に関連する議論を参照することもたまにある。
なんだか不思議な因縁を感じる。