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コロナ騒動。

1 新型コロナウイルス

 新型コロナウイルスについて、このブログに記事を書こうかずっと迷っていた。
医学や疫学は専門外なので、不用意に見当違いなことを発信するのはよくないと思っていたからである。

しかし、最近になって新型コロナウイルスの問題は、日本においては疫学の問題としてももちろん重要だけれど、徐々に政治経済の問題になりつつあるように見えるので、思い切って私見をまとめてみることにした。

2 悲観論と楽観論

 最近、新型コロナウイルスについて、意見が二分されている。
悲観論と楽観論である。

悲観論者は、新型コロナウイルスは大変な疫病なので、諸外国のようにロックダウンのような強力な対策を講じるべきだと主張する。
楽観論者は、新型コロナウイルスは高齢や持病等で体が弱っている人にとっては重大な脅威であるけれど、ロックダウンのような対策は必要ないと主張する。

現在、悲観論の方が常識的な意見とされている。
アメリカやヨーロッパを中心に桁違いの犠牲者が出ていることを考えれば、日本でも同様に警戒して強力な対策を講じるべきだということになる。
しかし、最近になって一部の識者が、楽観論に立ってロックダウンのような対策は必要ないと主張している。

3 国による相違

 楽観論者が無責任な主張をしているのかと言えば、そういう訳でもない。
実を言えば、僕も最近になって楽観論に転向した一人である。
なぜ一部の識者が楽観論を唱え始めたのかと言うと、新型コロナウイルスの犠牲者数が国によって桁違いに違うからである。

アメリカやヨーロッパの国々では猛威を振るっている新型コロナウイルスは、アジアの国々ではその犠牲者数が桁違いに少ない。
人種の違いというよりも、国によって違いが出ている。
これを説明するために、いくつかの仮説が考えられている。

4 各種仮説

(1)温度や湿度

 一番単純な仮説は、国によって温度や湿度が違うからという仮説である。
寒い国では犠牲者が多く、温かい国では犠牲者が少なくなるだろうと言う。
温度や湿度も無関係ではないだろうけれど、少々乱暴な議論でこれだけでは説明できないだろう。

(2)ウイルスの変異

 ウイルスが変異して、国によって流行しているウイルスの種類が少し違うという仮説である。
強毒なウイルスが入った国では犠牲者が多く、弱毒のウイルスが入った国では犠牲者が少ないと言う。
温度や湿度による説明よりも説得的な説だけれど、これもまだ実証されていないようである。

(3)予防接種

 最近有力に主張されている仮説が、BCG仮説である。
日本のように有効なBCG接種が行われている国とそうでない国で犠牲者数が違うので、BCG接種による免疫機構への影響がその差を生んでいるのではないかという仮説である。
コロナにBCGは「有効」なのか?東北大・大隅教授が緊急解説ダイヤモンド・オンライン
【さらに追記しました】新型コロナウイルスとBCG大隅典子の仙台通信

5 立場の相違

 その他にもいろいろな仮説がある。
日本人はきれい好きだからとか、手洗いやマスクの習慣の有無とか、文化的、宗教的な人的交流の方法や密度の違いなどなど。

要するに楽観論者は、各種仮説によると今後も日本では欧米ほどには犠牲者数が増えないので、感染症としてはインフルエンザ並みの扱いにして軽症者は原則自宅療養にすれば、ロックダウンなど劇的な措置を講じなくても、医療資源は確保できると主張するのである。

しかし、医師や研究者、学者等の立場のある人たちは、まだ実証されていない仮説に立って発言できないので、慎重にならざるを得ず、どうしても悲観論に傾いてしまう。
現在は、仮説が間違っていても大して失うものがない論者しか、楽観論を口にできない状況なのである。

6 結論

 そんな失うものがあまりない楽観論者からの結論を書いてみたい。
もし仮説が正しければ、日本は本来であれば必要のない自粛や外出規制等により経済を停滞させた上で、疲弊した経済を立て直すために経済対策をするという訳の分からないことをしようとしていることになる。

日本の政府が欧米のような過激なコロナ対策に及び腰なのは、理由はよく分からないけれど日本は大丈夫だと思っていて、しかし、それを公言できる確かな根拠がないからだろう。
そのような状況で判断を先延ばしにして、国民の間に広がる不安を軽視して良い意味での世論誘導に失敗てしまった。

挙句の果てには、一部の自治体の首長や研究者、専門家の発言や行動ばかりがクローズアップされ、報道は加熱し国民の不安は頂点に達した。
そして、その国民の不安に流される形で、自粛や緊急事態宣言等の、日本経済に大きな打撃を与える政策を逐次採用している。

7 空気の暴走

 失うものがある人間が守りに入れば、こうなってしまうのは当たり前である。
政治家が役人のようなことをしていたら、優柔不断の誹りは免れないだろう。
政治家が国民のためにリスクを取れなければ、国家は空気によって暴走してしまう。

いつか来た道である。
この国はあの敗戦から、何も変わってないのではないか。
小室直樹先生が生きておられたら、今回はどのように論評されたであろうか。
・いじめと空気と日本人。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2018/09/blog-post_4.html

 最後に一応念のため付言すれば、日本では欧米に比べてコロナで死ににくいけれど、軽症でもインフルの数倍きついという話なので、いつも以上に感染症に注意するべきだとは思う。
インフルにかかったことがある人は理解できると思うけれど、インフルも場合によっては死に至るほど苦しいし、入院している病人や高齢者などは普通の風邪で死ぬこともあるのだから。

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