旧司は現代の科挙だった。

1 法学部生の価値観

豊田真由子議員を生んだ「東大法学部」の特殊すぎるプライド。女性は意外とキラキラ系女子SPA!

 上記の記事では、東大法学部の偏狭な価値観について書かれている。
しかし、まだ社会に出ていない学生の価値観を偏狭と批判しても仕方がないし、そんな批判を書きたい訳ではない。
多分この記事は、一言で要約すれば、中年のおっさんの昔話に過ぎないものとなるだろう。

2 コクイチ、シホウ

 上記の価値観は、別に東大に限った話ではない。
コクイチ、シホウに合格者を出すような国立大学や有名私立大学の法学部生はそんな価値観を持っていたのだと思う。
今の学生は昔とは違う価値観に支配されているのだろうけれど、今現在、親しい現役学生の友人がいないのでよく分からない。

 怪物級の天才や秀才は現役でコクイチ、シホウの両方に合格したりしたけれど、普通の天才や秀才は現役でコクイチ、シホウのどちらかに合格し、少し要領が悪いような秀才は一浪、二浪してどちらかに合格した。

普通の学生は大学時代を謳歌した後、真面目な人は地方公務員を含め各種公務員試験を受験したり、普通に民間の就職活動をしたりして、社会に巣立って行った。

実家が裕福で少しおかしい人が入院(大学院進学)した。
大学院重点化以後は、就職浪人のために入院した人もいた(就職氷河期だった)。

3 司法制度改革の影響

・先生、法学部ってどうですか?:https://tanakah17191928.blogspot.jp/2016/08/blog-post_22.html

 新司法試験に移行して、旧司法試験時代の話は過去の昔話となってしまった。
別に、新旧試験を比較したい訳でも、新旧合格者を比較したい訳でもない。
僕自身は司法浪人になり損ねた人間であり、数年間も司法浪人として苦労された方々のことを思うと、司法浪人だったと名乗ることもできない存在に過ぎない。

ただ、現役の学生のような若者には、昔の旧司法試験が法学部生にとってどのような存在であったのか、想像もできない時代になってしまったかもしれないと思い、ここにメモすることにした。

4 旧司とは何だったのか

 旧司法試験時代の合格体験記を読めば分かることなのだけれど、現役で合格する人間はごく一部で、大半の人間は数年間の司法浪人を経て合格した。
これは、旧司法試験が資格試験というよりは、司法研修所への入所試験と化しており、厳しい競争試験となっていたからだ。

新卒という資格を捨てて司法浪人することの危険性は、今の学生でも同じだろう。
東大だろうが京大だろうが、合格しなければその学歴を棒に振ることになりかねない。
逆に、無名大学だろうと高卒だろうと、合格すれば法曹としての輝かしい人生が保証されていた。

 多くの受験生は、経済的な成功というよりは、法曹資格に対するあこがれや、司法試験に合格することそれ自体を目標に、受験勉強の延長で挑戦していた。
合格すれば人生が保証されていたので、司法試験に合格することそれ自体を目標にしても問題なかったのだ。

合格すれば人生が保証されると言われる、年一回の難しくて厳しい競争試験を全国の秀才が受験していた訳で、旧司法試験は現代日本の科挙と評されていた。

5 国が本気出して制度改革した結果

 だから、司法制度改革は「僕にとっては、ある意味バブル崩壊よりも衝撃的な出来事だった」のだ。

司法制度改革の理念としては、多種多様な人材が法曹として活躍できる社会を目指すものだったから、法科大学院を経由していろいろな人材がチャレンジするのは、旧試験時代のように有名大学の秀才ばかりが受験するよりはよいのかもしれない。

そこら辺の司法制度改革の成果やその評価自体については、僕は司法浪人にもなれなかった人間なので遠慮して、法曹関係者の意見をこれからも時々調べてみようかと思う。

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