公務員はなぜ嫌われるのか。
1 この記事を書く理由
別に公務員が嫌いなので公務員バッシングをしたい訳ではない。セミリタイアした現在、何らかの会社や組織等で正社員や正職員などに復帰する予定は今のところ全く考えていないので、自分以外の人間についてあまり興味がないというのが正直なところである。
若い頃地元の市役所に勤めていた時期もあるので、公務員時代に嫌な思いをしたのではないかとか勘繰られるかもしれないけれどそういう訳でもなく、当時のことは20年近く前の昔話なのでもうすでに過去の思い出話でしかない。
公務員と一括りにすると、自衛官や警察官や消防士、公立病院の看護師や公立学校の教職員も公務員であり、日本国民の結構な数が公務員やその家族、親類縁者であり、田舎に行けばまともな仕事が役場と郵便局の職員くらいしかないところもある。
そういう人たちを敵に回すつもりではないし、そもそも、公務員は嫌われているという客観的なデータもない。
それなのに公務員が嫌われる理由をテーマにするのは、それを切り口に、あるリバタリアンの意見に対し、ベンサムの素朴な功利主義を信奉する者からの反論を考えようかと思案しているだけのことである。
2 公務員が嫌われる理由
たまに、公務員になれない人間が公務員を妬んでいるのだという解釈をする人がいる。しかし、そういう人も結構いるかもしれないけれど、公務員が嫌われる理由の本質ではないと思う。
公務員や公務員を目指して勉強していた人は、周りに公務員を目指して勉強していた人が多かったので、そういうバイアスがかかるのだと思う。
広いこの世の中、公務員になりたい人やそのために勉強する人よりも、公務員なんて勤まらないと最初からそういう世界に寄り付かない人や、そもそもそういう世界に興味がない人も多い。
公務員が嫌われる本質的な理由は、税金を強制的に徴収し公共サービスを独占しているからである。
まずはこれについて説明しなければ話が始まらない。
3 税金の収奪とサービスの押売り
民間であれば、社会の需要に応じてサービスを供給し、その対価として報酬を得ることができる。逆から言えば、需要に応じることができなければ報酬を得ることができないし、顧客の立場から言えば、欲しくないものにお金を支払う必要などない。
これに対して、市民はどんなに税金を払いたくなくても権力で強制的に徴収される。
例えば、その自治体の政策が気に入らないので税金を払いたくないと考えれば、当該地域内に有する固定資産を売却した上で、他の地域に引っ越さなければならない。
これを足による投票と言うのだけれど、逆から言えば、一般市民はそこまでしなければ税金の支払いと行政サービスの選択をすることができないのだ。
4 お互いにとって不幸である
民間であればお客を選ぶことができる。古い感覚の人の中には、1円でも支払えば神様扱いされて当然のように考える人もいるけれど、レストランで数百円の食事をしたりスーパーで数千円の買い物をするだけで神様になれると思う方がどうかしていると思う。
名古屋で暮らしていた頃、スーパーで愛想のない店員に激切れしているおっさんを目撃したことがあるけれど、程度の差こそあれ、そういう人は世の中にたくさんいると思う。
そんなに神様になりたければ、高級店で数万円の買い物をして親切な担当者に毎回1万円のチップでも握らせたりすればいいと思う。
これに対して、お役所はお客を選べない。
全ての市民から税金を強制的に徴収し、行政サービスを独占しているからである。
全国民は買い物をすれば8%の消費税を支払っており、税金を払っていない市民はいないし、大した税金を払っていないくせに偉そうにするななどと、公務員は口が裂けても言えないのである。
そして、お役所憎しの人たちは、傍から見ればほとんど暇つぶしのように、役所のあらを探して監視し苦情を入れるのである。
その心情は理解できないでもない。
払いたくもない税金を徴収された挙句に、気に入らない政策で浪費された上で、税金から給料を支払われている役所の職員の態度に問題があった日には、もうそこまでしなければ怒りが収まらないのだろう。
・客を選べない仕事の不人気化(Chikirinの日記)
5 民主主義と自由主義
上記のような問題に対して、政治経済学的には自由主義を巡る論争がある。大きな政府と小さな政府という用語は、学校の社会科目で習ったことがあるかもしれないけれど、これは決して学校のお勉強で完結する話ではなく、政治経済においては過去はもちろん今現在もビビッドな問題なのである。
大きな政府を批判して小さな政府を信奉する自由主義者は、政府の規制が市場の自由を奪いその機能を歪め、結果、効率的な資源配分とイノベーションによる経済成長を阻害していると説くのである。
ちなみに、小さな政府論を批判し大きな政府を擁護する側は、市場の失敗をあげつらい、適切な社会経済政策により、市場原理では供給できないサービスや市場の機能を補完する形での社会資本の整備により、社会経済の安定化を図ることができると説くのである。
6 あるリバタリアンからの提言
実は、あるリバタリアンによる政策提言に対する反論を書くためにここまで基本的な事柄に言及してきたのだけれど、この記事を紹介するまでに予想以上に紙幅を費やしてしまったので、ベンサムを信奉する素朴な功利主義者からの反論は、また別の記事に書こうと思う。続きはまた気が向いたら書こうかと思うけれど、もしかしたら気が変わって、やっぱり書かないかもしれない。