1 原文 後漢の魯恭字は仲康、扶風平陵の人なり。 粛宗の時、中牟の令に拝せらる。 専ら徳化を以て理むることを為し、刑罰に任ぜず。 郡国に螟ありて稼を傷ふ。 犬牙の縁界も中牟に入らず。 河南の尹袁安之を聞き、其の実ならざるを疑ひ、仁怨の掾肥親をして往いて之を廉さしむ。 恭阡陌を随行し、倶に桑下に座す。 雉有り過ぎて其の傍らに止まる。 傍らに童児有り。 親曰はく、「児何ぞ之を捕らざる。」と。 児言ふ、「雉方に雛を将ゐる。」と。 親、瞿然として起ち、恭と訣れて曰はく、 「来たる所以の者は、君の政迹を察せんと欲するのみ。 今虫境を犯さず、化鳥獣に及び、竪子に仁心有り。 三の異なり。」と。 府に還り状を以て安に白す。 (『蒙求』より) 2 現代語訳 後漢の魯恭は、字は仲康で、扶風平陵の出身である。 粛宗の時代に、中牟県の長官に任命された。 刑罰に頼らず、徳による教えで世を治めていた。 地方に害虫が発生して、田畑の穀物を荒らした。 県境が複雑に入り組んだ場所でも、害虫は中牟県内には入らなかった。 河南郡の長官であった袁安はこのことを聞いて、本当ではない(嘘ではないか)と疑った。 仁怨という役職にあった肥親に、中牟県を視察させた。 魯恭はあぜ道を随行し、肥親と共に桑の木の下に座った。 キジが目の前を通り過ぎて、傍らに止まった。 その傍に子どもがいた。 肥親は言った。 「坊やはどうしてキジを捕まえないのかね。」 子どもは言った。 「キジがひなを連れているからです。」 肥親は驚いて立ち上がり、魯恭と別れる際に言った。 「ここに来た理由は、あなたの政治を視察しようと思ったからです。 ここでは害虫は県内に入らず、その徳は鳥や獣にも及び、子どもにも思いやりの心が備わっています。 3つの違い(優れた点)があります。」 肥親は郡の役所に帰って、その状況を袁安に報告した。 ・ 愛知県公立高校入試過去問古文・漢文現代語訳に戻る。