我が唯一の望み。
1 派遣エンジニアを辞めた頃
前職を辞めたとき、職業訓練校に通うことをすでに決めていたが、それでも将来に対する不安の方が大きく、軽い鬱状態だった。折しも、IT勉強会で出会った人たちが、続々と起業する時期だった。
いずれも優秀なプログラマ、エンジニアであり、そのまま会社に残っても、出世して後進を指導する立場になるだろうに。
なぜ、リスクを顧みず安定をかなぐり捨てて、独立、起業することができるのだろうか。
彼らは、成功を夢見る楽天家なのだろうか。
それとも、単にわがままなだけなのだろうか。
2 起業家の気持ち
今では、彼らの気持ちがなんとなく理解できる。心が欲したのだと思う。自分が本当にやりたいことをやったのだろう。
自分が本当にやりたいことが見つかれば、やらずに過ごすことはできない。
成功の可能性は十分に考慮してのことだろう。
ただ一つ言えることは、安定と天秤に掛けて選択するものではないのだろう。
本当にやりたいことは、何かと天秤に掛けるまでもないのである。
それが一番重い(価値がある)と分かりきっているのだから。
3 我が唯一の望み
僕が本当にやりたいことは、論文を書き研究者になることだ。論文を読み批評するだけなら学部生にでもできる。
論文を書き批評される側にならなければ、いつまでたっても研究者になれない。
永遠の学生である。
公務員になりたい、法律家になりたい、エンジニアになりたい。
僕の今までの夢は、背後に安定を求める心があった。
資格、知識、技術、経験があれば、それなりの仕事と収入が約束されると信じていた。
教育や人材育成で社会に貢献するという人生理念を捨てるつもりはない。
研究者を目指すことは、むしろその一環である。
けれど、中学生や高校生に数学や英語を教えることも、外国人に日本語を教えることも、僕の勝てる場所ではない。
4 末路
そして、研究者になれたとしても、経済的成功はおろか生活の安定さえ得られないかもしれない。たまに論文を発表する変な人で終わるだろう。
論文を書く暇があれば嫁さんでも探せばいいのにとあきれられ、たまに故郷に帰れば、あの人は勉強のしすぎで頭がおかしくなったと陰口を叩かれるのだろう。
それでもいい、それでいい、心が欲するのだから仕方ない。
見栄や外聞などなんの価値もない、我が唯一の望みの前では。
やりかけの勉強(数学教育とビル管)が片付いたら、始めようと思う。
1年もたたないうちに考え方が変わったことになる。
1年後には、また別の考えに取りつかれているかもしれない。
ブログをやっていると、こんな心境の変化を記録できるからおもしろい。
・可能性の獣(ニコニコ大百科)