令和元年度第2回高認国語問5【古文】
1 原文
人身、病なき事あたはず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。
上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。此の三知を以て病を治して十全の功あり。
まことに世の宝にして、其の功、良相につげる事、古人の言のごとし。
下医は、三知の力なし。妄りに薬を投じて、人をあやまる事多し。
夫れ薬は、補瀉寒熱の良毒の気偏なり。
其の気の偏を用ひて病をせむる故に、参芪の上薬をも妄りに用ふべからず。
其の気の偏を用ひて病をせむる故に、参芪の上薬をも妄りに用ふべからず。
其の病に応ずれば良薬とす。必ず其のしるしあり。
其の病に応ぜざれば毒薬とす。ただ益なきのみならず、また人に害あり。
其の病に応ぜざれば毒薬とす。ただ益なきのみならず、また人に害あり。
又、中医あり。病と脈と薬を知る事、上医に及ばずといへども、薬は皆気の偏にして、妄りに用ふべからざる事を知る。
故に其の病に応ぜざる薬を与へず。
前漢書に班固が曰はく、病有りて治せざれば常に中医を得よと。
云ふ意は、病あれども、もし其の病を明らかにわきまへず、其の脈を詳らかに察せず、其の薬方を精しく定めがたければ、慎んで妄りに薬を施さず。
ここを以て病あれども治せざるは、中品の医なり。
下医の妄りに薬を用ひて人をあやまるにまされり。
下医の妄りに薬を用ひて人をあやまるにまされり。
故に病ある時、もし良医なくば、庸医の薬を服して身をそこなふべからず。
只保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのづから癒ゆるを待つべし。
此くのごとくすれば、薬毒にあたらずして、はやく癒ゆる病多し。
良医の薬を用ふるは臨機応変とて、病人の寒熱虚実の機に臨み、其の時の変に応じて宜に従ふ。
必ず一法に拘はらず。たとへば、善く戦ふ良将の、敵に臨んで変に応ずるがごとし。
かねてより、其の法を定めがたし。時に臨んで宜に従ふべし。
されども、古法をひろく知りて、その力を以て今の時宜に従ひて、変に応ずべし。
古を知らずして、只今の時宜に従はんとせば、本なくして、時宜に応ずべからず。
故きを温ねて新しきを知るは、良医なり。
(貝原益軒『養生訓』より)
2 現代語訳
人の身体は、病気にならないで過ごすことはできない。病気になれば、医者を招いて治療を求める。医者には上中下の三品がある。
上医は病気を知り、脈を知り、薬を知る。この三つの知識によって病気を治して完全な効果がある。
まことに世の宝であり、よい政治家のように大事なものであることは、昔の人の言うとおりである。
下医には、三つの知識がない。妄りに薬を処方して、人に害を及ぼすことが多い。
薬は、病気のときに良気を補ったり毒気を取り除いたりしてバランスをとるものである。
そのバランスをとって病気を治める故に、薬用人参の上薬も妄りに用いてはならない。
その病気に応じれば良薬となる。必ずそのしるしがある。
その病気に応じなければ毒薬となる。無益であるだけでなく、人に有害である。
また中医がある。病気と脈と薬の知識について上医に及ばないけれど、薬はすべてバランスをとるものであり、妄りに用いるべきではないことを知っている。
故にその病気に応じない薬を処方しない。
前漢書において班固は言った。「病気になって治らなければ常に中医を得よ。」
その真意は、病気があっても、もしその病気を明らかにすることができず、その脈を詳らかに察せず、その薬の処方を詳しく定めることができなければ、慎んで妄りに薬を処方しない。
これによって病気を治せないのは、中医である。
下医が妄りに薬を処方して、人を害するよりも優れている。
故に病気のときに、もし良医がいなければ、平凡な医者の薬を服用して身体を損なうべきではない。
ただ慎んで保養し、薬を用いずに、病気が自然と治るのを待つべきである。
このようにすれば、薬毒に当たることはなく、早く治る病気が多い。
良医が薬を処方するのは臨機応変であり、病人の寒熱虚実の機に臨み、そのときの変に応じて良い方法に従う。
必ず一つの方法にこだわらない。例えれば、善戦する良将が、敵に臨んで変に応じるようなものである。
あらかじめその方法を定めるのは難しい。時に臨んで良い方法に従うべきである。
しかし、昔の方法を広く知り、その力を用いて今の時宜に従って、変に応じるべきである。
昔を知らずに、ただ今の時宜に従おうとすれば、本がないので時宜に応じることができない。
故きを温ねて新しきを知るのが、良医である。