令和4年度第1回高認国語問5【漢文】
1 原文(書き下し文)
或ひと曰はく、「著書の人は、博覧多聞、学問習熟すれば、則ち能く類を推し文を興す。
文は外よりして興り、未だ必ずしも実才と文と相副はざるなり。
且つ意を華葉の言に濺げば、根核の深なく、大道の体要を見ず、故に功を立つる者希なり。
安危の際、文人与らず、能く功を建つるの験なく、徒だ筆説の効を能くするのみなり」と。
曰はく、
「此れ然らず。
周の世の著書の人は、皆権謀の臣、漢の世の直言の士は、皆通覧の吏なり。
豈に文は華葉の生ずるをば、根核之を推すにあらずと謂はんや。
心思謀を為し、集扎文を為せば、情は辞に見れ、意は言に験あり。
(中略)
書疎・文義の、肝心を奮はしむるは、徒だに博覧者の能く造る所、習熟者の能く為す所にあらざるなり」と。
(『論衡』より)
2 現代語訳
ある人が言った。「書物を著す者は、広く書物を読んで、物事に通じていて、博学であり、学問に習熟しているので、よく類推して文章を作ることができる。
文章を外界から作るので、必ずしも実才と文章は相関しない。
また、意を言葉の修飾に注ぐので、根核の深みがなく、人の踏み行うべき立派な道理の体要を見ていないので、功績をあげる者は希である。
安危の際に、文人は関与せず、功績をあげた証拠がなく、ただ文筆の効果をよくするだけである。」
こう言った。
「これはそうではない。
周の世の書物を著す者は、皆策略の臣であり、漢の世の、気兼ねせず、思うことをそのまま言う士は、皆全体にわたって目を通す官吏であった。
どうして文章に修飾が生じるのを、根核から推量されたものではないと言えようか。
心に思えば策略をなし、竹の扎を集めて文章を作れば、情は言辞に表れ、意は言葉に表れる。
(中略)
手紙・文意によってこころを奮い立たせるのは、単に博覧の者が作り、習熟した者がなすことができる訳ではない。」
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