平成25年度第2回高認国語問3【古文】
1 原文
暮れもはてぬに急ぎ出でて、聞きしかたに尋ね行く。いみじき馬をいとどうち早めつつ、夜中にもなりぬらむと見ゆるほどに、同じごと高き楼の上に、琴の声聞こゆ。はるかに尋ね登れば、道いと遠し。これは鏡のごと光を並べ、いらかを連ねて造れるものから、屋数少なく、かりそめなる屋に人住むべしと見ゆれど、わざと木陰に隠れつつ、楼を尋ね登れば、言ひしに変らず、えも言はずめでたき玉の女、ただひとり琴を弾きゐたり。乱るる心あるなとはさばかり言ひしかど、うち見るより物おぼえず、そこら見つる舞姫の花の顔も、ただ土のごとくになりぬ。古里にていみじと思ひし神奈備の皇女も、見あはするに、鄙び乱れたまへりけり。あまりことごとしくも見ゆべきかんざし、髪上げたまへる顔つき、さらにけ遠からず。あてになつかしう、きよくらうたげなること、ただ秋の月のくまなき空に澄みのぼりたる心地ぞするに、いみじき心まどひをおさへて、念じ返しつつ、かの琴を聞けば、よろづの物の音ひとつに合ひて、空に響き通へること、げにありしに多くまさりたり。
とかくのたまふこともなけれど、ただ夢路にまどふ心地ながら、この得し琴を取りて搔き立つるを見て、もとの調べを弾きかへて、はじめより人の習ふべき手をとどこほるところなく、ひとわたり弾きたまふを聞くままに、やがてたどらずこの音につけて搔き合はすれば、我が心も澄みまさるからに、すずろに深きところ添ひて、やがて同じ声に音の出づれば、手に任せてもろともに弾くに、たどるところなく弾き取りつ。
これも月の明け行けば、琴をおしやりて、帰らんとしたまふ時に、悲しきことものに似ず、おぼえぬ涙こぼれ落ちて、言ひ知らぬ心地するに、公主もいたう物をおぼし乱れたるさまにて、月の顔をつくづくとながめたまへるかたはらめ、似るものなく見ゆ。例の文作り交して別れなむとする時、
「この残りの手は、九月十三夜より五夜になん尽くすべき」
とのたまふ。
雲に吹く風も及ばぬ波路より問ひ来ん人はそらに知りにき
とのたまへば、
雲の外遠つさかひの国人もまたかばかりの別れやはせし
と聞こゆるほどもなく、人々迎へに参る音すれば、はしのかたの山の陰より、のたまふままに隠ろへ出でぬ。
(『松浦宮物語』より)
2 現代語訳
日も暮れないうちに急ぎ出て、聞いた方向に尋ねていった。駿馬をさらに早めて、夜中になろうという頃に、同じように高い楼の上に、琴の音が聞こえてきた。遥かに尋ねて登っていくと、道のりは大変遠かった。そこは鏡のように光を放ち、甍を連ねて造ったもので、屋数は少なく、間に合わせの屋に人が住んでいるように見えたけれど、わざと木陰に隠れて、楼を尋ねて登っていくと、言ったとおりの、なんとも言いようがないほど美しい玉のような女が、ただ一人琴を弾いていた。心を乱してはならないと言われたけれど、見た途端にどうしてよいか分からなくなり、今まで見てきた舞姫の花の顔も、ただの土くれのように思われた。故郷において美しいと思ってきた神奈備の皇女も、見比べると、田舎風だと心がお乱れになった。大変仰々しくも見えるかんざしも、髪をお上げになった顔つきも、全く遠いものとは思われなかった。上品で親しみもあり、美しくてかわいらしいのは、ただ秋の月が雲のない空に澄み登るような心地がして、大変な動揺を抑えて、念じ返して、その琴の音を聞けば、全ての物の音が一つに合わさって、空に響き渡るのは、本当に今まで聞いてきたどれよりも優れていた。
言葉をお発しになることもできず、ただ夢路に惑う心地であったが、その得た琴を取って弾くのを見て、もとの調べを弾き変えて、始めから人の習うべき曲を止めることなく、一通りお弾きになるのを聞くままに、そのまま滞ることなくこの音色に合わせて弾くと、心も澄み渡り、思いがけず深い境地に至って、やがて同じ音色が出たので、手に任せて一緒に弾くうちに、滞ることなく弾くことができるようになった。
月夜が明けてくると、琴をしまって帰ろうとなさった時に、今までにないほど悲しくなり、思わず涙がこぼれ落ちて、なんとも形容できない心地がして、公主も大変思い乱れているようで、月の顔をつくづくとお眺めになる横顔は、例えようもなく美しく見えた。いつものように文を作り交わして別れようとする時に、
「この残りの手は、九月の十三夜から五夜までに終わらせましょう」
とおっしゃった。
雲に吹く風も届かない浪路より、訪ねてくる人がいることをなんとなく知っておりました
とおっしゃったので、
雲の果ての遠い国からやってきた人で、これほど悲しい別れをした者がおりましたでしょうか
と申し上げる間もなく、人々が迎えに参る音がしたので、階段の方の山陰からおっしゃって隠れて出ていった。
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