子どもに勉強を教えること。
1 勉強を強制することなどできるのか
本格的に子どもに勉強を教え始めて1か月。子ども達からいろいろなことを教えてもらった。
座学で学んだことを改めて確認する場でもあった。
まず、勉強は強制されて嫌々やるものではないということを忘れないようにしたい。
かく言う私も、いい加減なことを言って勉強を始めない子どもを前にすると、つべこべ言わずにさっさと勉強しろと怒鳴りつけたいという衝動にかられる。
2 教育論
子どもに限らず、強制されて嫌々やったことなどほとんど何も身に付かない。大人でもそうだし、子どもなら尚更だろう。
子どもは素直で正直で大人が思っている以上に、お勉強ができるできないとは別の意味で、利口で賢い。
大人になると自分が子どもの頃のことを忘れてしまうのだ。
かくして、勉強嫌いの子どもに勉強をさせるために、いろいろな教育論が唱えられることになる。
3 物的・精神的に釣る方法
まず、勉強したらご褒美をあげる方法がある。これは一般的にはあまり肯定されていない。
ご褒美目当てに勉強するのであれば、逆から考えると、ご褒美がなければ勉強しないということになる。
あまり多用すると、ご褒美がもらえることを当たり前と思うようになってしまう。
次に、褒めて育てる方法がある。
これは一般的には肯定されている方法ではあるけれど、これもあまり多用すると、褒められるのを当たり前と思うようになってしまう。
褒められるのが当たり前だと考える子どもに育てたいなどと思う親はいないだろう。
4 習慣の力、そして最善の方法
次に、勉強することを習慣づけてしまうという方法がある。これが次善の策だと僕も思う。
習慣になってしまえば、毎日きちんと勉強できるようになるし、たとえ勉強好きにすることができなくても、嫌々やらされるより余程よい。
最善の方法は言うまでもなく、勉強を好きになることである。
ただ、常に一つの同じ方法に固執する必要もないだろう。
ご褒美が効果的な場面もあるだろう、きちんと褒めることも大切だろう、必要なことは習慣にすることも重要だろう。
いずれにせよ、自学自習できるような人間に成長することが一番大切なことだと思う。
5 自分ができないことを強制することなどできるのか
大人になったって、仕事や資格取得のために勉強しなければならなくなることが多々ある。大人になってもできていない人はたくさんいるだろう。
だからこそ子どもに多くを期待してしまうのも親心なのだろう、多分。
大人は自分ができないことを子どもに強制しても許されて当然だと思いがちだけれど、大人が子どもに強制しようとする事柄は意外とハードルが高かったりする。
いろいろと偉そうなことを書き綴ってみたけれど、どれも既存の教育論を簡潔にまとめただけである。
結局、当たり前のことをバカにせずちゃんとやる(仕事のABC)しかないのだろう。