受け継がれる記憶。
1 祖父の手帳
今日からお盆だ。母と一緒にお寺、お墓まで行って、父の御霊を迎えに行った。
実家の居間でくつろいでいると、母から父方の祖父の昔のことを調べてほしいと頼まれた。
祖父の昔の手帳を読みながら、母のために手帳を読むよう父から頼まれたような気分になった。
達筆で昔の漢字が使われているので、読むのに慣れていない人には難しいのかもしれない。
もしかすると、父は僕に祖父の手帳を読ませたかったのかもしれない。
母からそんなことを頼まれなければ、そんな昔の手帳を読もうなどとは思わなかっただろう。
2 四国での父との思い出
父が死ぬ前、入院中の病院の病室で、父と父の故郷の主な親類のお墓の話をした。父が元気な頃に、四国をドライブしながらそれらのお墓参りをしたことはあったけれど、それは僕にとっては単なる親孝行のために車を運転しただけのことだった。
話し終えて父は言った。
「このことをお前に話すために、俺は今まで生かされていたのかもしれない。」
この時、父の死期はすぐそこまで迫っていた。
3 相続の本当の意味
親が死ねば相続が始まる。それは法律で決まっている、と言うよりも、相続という制度は昔からあって、近代法はそうした慣習にも十分配慮されて導入されたのかもしれない。
相続と聞くと普通の人は、お金や土地、あるいは逆に借金など、財産権のことを思い浮かべるだろう。
確かに、法律上相続は権利・義務を包括的に承継するに過ぎない。
しかし、法律上の意味とは別に、相続はその人の人生そのものを相続する覚悟がいると思う。
4 人生の相続
人生そのものを相続することの意味合いがどうなるかは、ケースバイケースだろう。僕の場合、ご先祖様から祖父や父までのファミリーヒストリーがあり、せめて祖父や父の代の記憶ぐらいは受け継ぐべきなのかもしれない。
若い頃の僕はそういうことの価値が全く分からない人間だった。
相続と言えば、権利・義務の包括的承継という法律上の意味しか理解できなかった。
父が昔の記憶にこだわることを滑稽だとさえ思っていた。
この年になってようやく理解できる、父や祖父やご先祖様の記憶には確かに何かの価値がある、たとえその記憶を次に伝える当てがないとしても・・・