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英語、そして学問は目的なのか手段なのか。

1 日本人と英語コンプレックス

 最近の若者はそうでもないのかもしれないけれど、日本人は英語が苦手でそのことにコンプレックスを抱きがちだと思う。
それに対して、英語ができる人間から、あるいは逆にできない人間が負け惜しみで、「英語はツールに過ぎない」とか「英語は道具に過ぎない」とか言ったりする。
言ってることは全くもってその通りだと思う。

2 目的と手段

 目的と手段を区別する論法は今までよく使われてきた。
「目的のために手段を選ばない男」とか「手段のために目的を選ばない男」とか。
手段のために目的を選ばない男~悪役の企業人の独創的な類型/内海課長(機動警察パトレイバー)物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

しかし、何が目的で何が手段かは案外相対的なものだと思う。

3 英語は目的か手段か

 英語は何かを学んだり成し遂げるための手段であるかもしれない。
けれど、英語や英語教育はそれ自体が学問の対象になるほど奥が深いものでもある。
数学や数学教育はそれ自体が学問の対象になるほど奥が深い。
けれど、物理学その他自然科学や社会科学はそれを道具として使っている。

プログラミングもそれ自体が学問の対象になるほど奥が深い。
けれど、プログラミングは生活を豊かにするための科学技術などの一手段でもある。
そして、自然科学、社会科学などの科学や技術、学問はそれ自体奥が深いものであるが、一般に人々はそれで仕事や生活が便利になればいいものだとしか思っていない。

4 役に立つかどうかで仕分けするべきか

 大学の演習で教育哲学が専門の先生が、「良い先生になるだけではなく、学校の先生たちを良くするための学問」だと言っていた。
崇高な目的だと思う。
また、「何かの役に立つかどうかだけが学問の価値ではない」とも言っていた。
まったくその通りだと思う。

「手段のために目的を選ばない男」ではないけれど、役に立とうが立つまいが、英語でも数学でもおもしろそう楽しそうと思えるなら、一度勉強して実践してみればいいと思う。
それで後悔することもあるかもしれないけれど、後悔は人生につきものだ。
そういう経験が人を育てるのだと思う。
どうせ後悔するなら、やらなかった後悔よりもやった後悔の方がいい場合もある。

内海課長:
「先の予測なんかしながら生きる人生なんてつまんないだろう、黒崎くん。」
「黒崎くん!君はどうする!?」

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