げに恐ろしきは人の業なり。
1 都市/田舎論
とある田舎で起きた事件についての記事を読んで、みんな「やはり田舎は人間関係が陰湿で怖い」という感想を持ったようだ。・ルポ「つけびの村」01/06 〜山口連続放火殺人事件の因縁を追う~(note)(tk84yuki)
僕は田舎出身だけれど田舎が嫌いなので、僕がまた尻馬に乗って田舎批判を展開するためにこの記事を書くのだろうと思われるかもしれないけれど、そうではない。
逆である。
旧ブログで、僕自身の田舎嫌いを分析するために散々、都市/田舎論に関する記事を書いた。
しかし、新ブログに移行する際にそういう記事はほとんど削除してしまったし、もう一度そういう記事を再掲するつもりもない。
結論はもう既に出したからである。
2 結論:閉鎖性が人間を陰湿にする
人間集団にある程度の閉鎖性があると、人間関係が陰湿になるのである。これは、都会の人間が優れているとか、田舎の人間が劣っているとか、そういう問題ではない。
人間とはそういう生き物なのだと、まずは認める必要がある。
・いじめと空気と日本人。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2018/09/blog-post_4.html
小学校、中学校、高校時代のことを思い出せば分かることだと思う。
都会の学校でも田舎の学校でも、いじめの問題はどこでも発生する可能性がある。
子どもの頃の学校での人間関係を思い出せば、みんな多かれ少なかれ思い当たる出来事があったはずだと思う。
3 人間の本性
古代の人間社会はみんなが助け合う平和な社会だったというイメージを持っていたのだけれど、最近の研究によると、人類は石器時代から戦争で殺し合っていたらしい。・人類は石器時代から戦争に明け暮れてきた(池田信夫 blog)
人が人を殺してはいけないというルールのために宗教が発生し、そして、今度は違う宗教を信じる違う集団、国家間で殺し合うようになった。
・殺戮の宗教史(池田信夫 blog)
数々の宗教戦争、ヨーロッパ暗黒時代の魔女裁判、新大陸等の植民地征服に伴う虐殺、人類の歴史を紐解けば、人間による悪魔の所業は昔からあり、そして今も世界のどこかで行われている。
・ ヨーロッパ暗黒時代の魔女裁判「お前、ネコを飼っているだろ?」「はい」「魔女だな、死刑」「男ですが?」「死刑!」(BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン))
誰が人間で誰が悪魔なのか、人間とは何なのか、悪魔とは何なのか、それは普遍的で永遠に続く、我々人間が考え続けなければならないテーマなのかもしれない。
4 理性と感情
近代以降、理性的に考えることの重要性ばかり強調されてきたけれど、最近になってようやく、人間が持つ感情を研究することの重要性がクローズアップされるようになってきた。我々人間も生物であり、今もなお、進化の途上にある。
AIなどの研究が進めば進むほど、逆に、人間はなぜ感情を持つのか、実は感情こそ人間の本質なのではないか、人間を人間たらしめているものの正体が、いずれ科学的に解明されるのかもしれない。
・人類は「感情的動物」だから生き残った(池田信夫 blog)
5 人間と動物は何が違うのか
何が人間なのか、人間と他の動物は何が違うのか。なぜ人間を殺してはいけないのか、人間を殺してはいけないけれど、他の動物は殺してもよいのか。
人間を殺してはいけないのが原則だとすれば、殺しても許される例外を考えるとき、どのような条件がそろえばよいのか。
そもそも殺してはいけない人間と、殺してよい人間を類型化することが許されるのか。
人間以外の他の動物なら殺してもよいのが原則なのか例外なのか、人間以外の他の動物でも殺してはいけないのが原則なのか例外なのか。
誤解を恐れずに言えば、上記の問題は、哲学的に非常におもしろい問題である。
古来、哲学者に限らず、いろいろな人がこの問題に言及し、結論は時代により、人により違うものとなる。
・なぜ犬猫を殺してもいいのに人間はだめなのか(池田信夫 blog)
6 そして正義論に回帰する
この問題に対する解は存在しない、というのが私見である。より正確に言えば、政治経済学的には、この問題に対する永遠不変の解は存在しない。
例えば、今の日本社会では、猫が好きな人が大勢いるので(多数派なので)、猫を虐待することは道徳的に悪いことだという意見が常識とされているし、そのような法律まで制定されている。
これは一つの思考実験なので容赦していただきたいのだけれど、もし仮に、どこか違う国で猫がゴキブリのごとく国民に忌み嫌われていたとしたら、どのような社会になるのだろうか。
みんな猫が目に入っただけで殺そうとするし、薬局では殺猫剤が売られていて、国民衛生のために排除するべき害虫・害獣として猫が法律で指定されているかもしれない。
自分たちの社会の常識や正義で、他の国や社会の常識や正義を断罪することは正しいのだろうか。
いや、正しくない。それは逆に、正義に反している。
正義とは、・・・・・・
・ ベンサムの功利主義(The Gravity of Justice)