依存症と人生の幸福。
1 依存症
依存症と書くと、あの自称狂人はおかしいと思っていたけれど、やはり何かの依存症だったのかと勘繰られるかもしれない。そんなに大した依存症ではない。
僕にとって唯一の嗜好品、コーヒーである。
コーヒーなんてカフェイン中毒にならない程度に飲めばよいのだから、別に少々依存していてもよいのだけれど、体質的に合わないらしい。
もともと皮膚が弱い体質なので、少し飲み過ぎると湿疹ができて困る。
最近、断捨離を本格的に断行して、不必要なものはほとんど処分して、コーヒーも飲まないようにしているのだけれど、コーヒーは唯一の嗜好品だったので、少々つらい。
しかし、体質的に合わないのだから、我慢するしかない。
2 たばこ
最近は薬物で逮捕される有名人も多いけれど、普通の人でもよく依存症になってしまっているものにたばこがある。僕も若い頃にたばこを吸っていたので、喫煙者の気持ちはよく分かる。
禁煙の大変さも実際に体験している。
たばこのように依存性のある物質が含まれているとなかなかやめられないけれど、長年の喫煙者はたばこを吸うことに精神的に依存してしまっているので、その矯正も大変である。
禁煙中は、たばこを吸うことによる健康被害を毎日確認して、たばこに依存していた日々の行動を自省して、自制する必要がある。
3 執着
依存症には他にもいろいろある。甘いお菓子などジャンクフード依存というものもある。
お菓子に限らず、ストレスのために過食になったり、逆に拒食症になったりする人もいる。
ギャンブル依存症など、重度になると人生を破壊してしまうものもある。
しかし、依存症という言葉を使うかどうかは別として、人はいろいろなものに執着して生きている。
たとえば、それが健全な勉強やスポーツなら称賛されたりする。
勉強にのめりこんで科学者、研究者になったり、将棋にのめりこんでプロ棋士になったり、スポーツにのめりこんでプロの選手になったり。
仏教的には執着は苦しみの源泉の一つなのだけれど、執着を全て捨て去ることはほとんど不可能なので、バランスを考えながら制御するしかない。
4 幸福
ゲーム依存症になってしまう人もいる。しかし、今はプロゲーマーとしてお金を稼げる人もいるし、ゲーム関連の仕事をしている人もたくさんいる時代である。
昔のように、ゲームを子どもだましで有害無益なものと切り捨てることはできない。
たとえば、子どもの頃から勉強一筋という人もいて、大人になっても何かに追われるように勉強している人もいる。
英語などの語学学習、難しい資格の勉強ばかりしている人もいれば、大学や大学院に入って高度な学位取得に執着する人もいる。
世の中にはいろいろな人がいて、いろいろなものに執着して生きている。
別にそれを批判したい訳ではない。
そんなことを批判し始めると、最後には、「お前らみんな出家しろ」と言わざるを得なくなる。
5 これから
この記事は自分自身の気持ちを整理するために書いている。唯一の嗜好品であるコーヒーが飲めないのであれば、何を楽しみにこれから生きていけばよいのだろうか。
また資格や学位のための勉強でも始めればよいのだろうか。
ゲームとかカラオケとか、そういう趣味でも再開すればよいのだろうか。
今までいろいろなことに手を出してきたけれど、今でも続いているのはこのしょうもないブログだけである。
はかない人生をむなしく浪費する日々である。