何のために勉強するんだろう?
1 選抜から選択へ
少子化が進み、高校でも大学でも、選ばなければどこかに入れる時代になった。大学入試が【選抜】ではなく、【選択】になってしまったと表現する識者もいるけれど、まさにその通りだと思う。
極端な話、進学するだけなら、小中学校で全く勉強していなくても可能だろう。
たとえば通信制ならば、一般の高校入試よりも楽に入学できるだろう。
卒業できるかどうかは別の話になってしまうけれど。
2 進路の選択
高校卒業後の進路もそうである。無理にハードな受験勉強をガリガリしなくても、自分の学力に見合った大学を適切に選べば進学できる。
高校生活を真面目に過ごせば、推薦入試等の制度を上手に活用して進学することもできるだろう。
大学まで行く必要がなければ、就職する道だってある。
就職氷河期時代には、下手に大学に進学した人たちよりも、高卒枠で地元の優良企業や役所に就職した人たちの方がうまくいったりした。
大卒なのにそれを隠して高卒枠で就職する人までいたし、今でもそんなことがちらほら露見して、たまにニュースになったりする。
3 多様な選択肢
目的意識を持って、あるいは周囲の勧めで何となく、専門学校で技能を学んで就職する人もいる。どうしても大卒の資格が欲しければ、通信制大学を利用することだってできる。
社会人になってから人それぞれいろいろな理由で、通信制の大学や大学院を活用して学位を取得する人もいる。
進学塾や予備校の講師は、生徒の志望校合格のため、勉強の内容や方法についてアドバイス、指導できるよう大変な努力をしている。
それに対して、補習塾あるいは苦手科目の学び直しのような講座の場合、進学塾の掲げる志望校合格のように、何か明瞭な目標設定ができるのだろうか。
それは凡そ全ての人に共通するようなものとして、一般化可能なのか。
4 勉強する意味
考えがまとまったらブログの記事にでもしようかと、数日考えてみたけれど、どうしても考えがまとまらなかった。よく考えてみれば当たり前の話だった。
相手が子どもだろうと大人だろうと、目標が志望校合格だろうと資格試験合格だろうと、そういう何か具体的な目標設定を一旦横に置いて思考すれば、答えのない森に迷い込むことになる。
何のために勉強するんだろう?
5 人生の意味
この問いを更に突き詰めれば、もっと根源的な問いになる。何のために生きているんだろう?
この問いに答えはない。
敢えて回答すれば、そんなもの人それぞれで、何かに価値があるととりあえず信じて生きている。
それを意識しているか、あるいは無意識に信じ込んでいるかも、人それぞれである。
こんなことを真剣に人に説けば、もはや宗教だ。
解はないのに解はあるみたいな顔をして、いい意味で適当に答えるしかないのかもしれない。