1 原文 武士のもとに、力強くして矢をはしらかし、物を強く射さする弓あり。 主の武士これを愛し、是ををしみて、重き宝と思へり。 ある人、この弓をとりて、矢を矧げてひかんとするに、強くしてひくにあたはず。 かるがゆゑに、おとをも射ず、物にも強くも立たず。 是がやうに、力ある人は堂塔をもつくり、法花・真言をもつとめおこなふべきなり。 力なきわれらは、念仏の弱弓をもて射ば、おのづから射当つる事も有るべし。 たとへば、玄象と云ふ琵琶は、ひかんとすれば手をきらひてならず。 ひきならはしたる琵琶をもて、おのづから心すみておもしろきがごとし。 念仏の功徳も又々、かくのごとし。 (『宝物集』より) 2 現代語訳 武士のもとに、力強く矢を遠く飛ばし、物を強く射ることができる弓があった。 持ち主の武士はこれを愛し、大切にして、大事な宝物だと思っていた。 ある人がこの弓を持って、矢を弓のつるにかけて引こうとしたけれど、強くて引くことができなかった。 だから、音を立てて射ることもできず、物を強く射ることができなかった。 このように、力がある人は寺院の堂や塔をつくり、法華宗や真言宗の修行をすることができるに違いない。 力がない私たちは、念仏のような誰でも扱える弱い弓で射れば、自然と射当てることもあるだろう。 たとえば、玄象という琵琶は、弾こうとしても十分な技量がなければ音を出すことができない。 弾き慣れた琵琶を弾けば、自然と心が澄んでおもむき深く感じるようなものである。 念仏の功徳もまた、このようなものである。 ・ 愛知県公立高校入試過去問古文・漢文現代語訳に戻る。