僕が人生の進路変更をしたのは営業ができなかったから。
僕がこの記事を書いたのは、下記の記事に感銘を受けたから。
・私が人生の進路変更をした本当の理由(My Life After MIT Sloan)
そして2年弱働いて1件も売ることができなかった。
僕には営業能力・センスが欠けていた、そして今もない。
「不動産って高額だし、不動産営業って大変って聞くし、不動産の営業ができないだけで、ほかの営業なら何とかなるんじゃない?」、と思う人もいるかもしれない。
そこの会社の営業は反響営業で、新聞広告を見て興味を持った人から電話がかかってくるので、それで物件を案内して契約をとるのが仕事だ。
運によるところが大きいかもしれない(買う気満々の客なら誰でも売れる?)。
だから、どんな下手でも1年以上いれば1件ぐらいはなんとか売れる。
そう考えると、僕は売れる客を数人逃がしているはずだ。
なんとも情けない話だ。
それがこの会社を辞めた理由だ。
辞める時引き止められて、社長と喧嘩別れするように辞めることになった。
その社長にはとてもかわいがってもらった。
売れない営業の僕は、なぜかこの社長に気に入られていた。
社長は仕事が終わると自分が出資している居酒屋で酒を飲み、僕はよくそこに呼び出された。
そこでは、社長と土地家屋調査士の先生や仕事の関係者が集まって、業界話に花を咲かせていた。
今でもたまにそこに行って、社長と先生に近況報告している。
その社長は僕の名古屋の師匠であり、その先生は僕の名古屋の先生だからだ。
その会社の宅建主任者は糖尿病で目が悪く、僕は空いた時間に契約書・重説のチェックをしていた。
たまに法律的な調査を手伝ったり、アドバイスしたりしていた。
ただ、社長が売れない営業の僕を教育してくれたのは、そんなつまらない理由ではないと思う。
一代で財を築いた男の酔狂としか思えない、今でも分からない、ただただ尊敬、感謝するしかない。
ただ、表向きとはいえ僕は本気だった。
営業ができない人間が士業にこだわるなど、滑稽以外のなにものでもないのだが、当時の僕は司法書士レベルの資格をとれば、なんとかなると本気で盲信していた。
この時には、あれほど僕を苦しめた精神疾患も治癒し、再発することもなかった。
また実家に戻り、コンビニでアルバイトをしながら、司法書士の勉強を続けた。
1年勉強して結果は不合格だった。
ただ、コンビニのアルバイトは楽しかったし、まだ1年目なので勉強を続けるつもりだった。
ところが、この頃の親のプレッシャーがはんぱではなかった。
今振り返れば、この頃の親子関係が一番険悪だった。
息子がコンビニでアルバイトをしているという事実が、世間に対して恥ずかしかったらしい。
僕自身はそんなことには無頓着だったから(今でもそうだけど)、そんなくだらないことで僕に愚痴を言うのが、理解できないし腹が立ったし、(僕の親はこの程度の人間なのかと思うと)悲しかった。
けれど、それは神様が与えて下さったきっかけだった。
営業ができない人間が士業を目指すべきかどうかという、根本的な問題に向き合わざるを得なかった。
資格者の名前で文書を作ればいいだけの話だ。
いやしくも士業を志すなら、そこで修行して晴れて独立するのを目標としなければならない。
あぁ・・・僕には無理だ・・・無理なことだったんだ・・・
「僕が人生の進路変更をしたのは営業ができなかったから」だ。
「プログラミングってかっこいい」という理由で、プログラミングの学習から始めた。
コンビニのアルバイトを続けながら、情報処理技術者の通信講座を始めた。
基本資格である基本情報技術者をとり、通信キャリアの派遣会社で派遣エンジニアとして働くことになった。
ちなみに、コンビニのアルバイトは今までで一番楽しい仕事だった。
年下のオーナーは、厳しいところもあったけど、基本的には年上の僕に気を使ってくれた。
一緒に働く年下の女の子たちは、かわいい子ばかりだった。
昼間勤務の主婦の人たちは、気のいい人ばかりだった。
働く際に重要なのは人間関係だと再認識した。
・プロフィールへ戻る。
・私が人生の進路変更をした本当の理由(My Life After MIT Sloan)
1 不動産会社の営業
僕は名古屋の不動産会社で営業として働き始めた。そして2年弱働いて1件も売ることができなかった。
僕には営業能力・センスが欠けていた、そして今もない。
「不動産って高額だし、不動産営業って大変って聞くし、不動産の営業ができないだけで、ほかの営業なら何とかなるんじゃない?」、と思う人もいるかもしれない。
そこの会社の営業は反響営業で、新聞広告を見て興味を持った人から電話がかかってくるので、それで物件を案内して契約をとるのが仕事だ。
運によるところが大きいかもしれない(買う気満々の客なら誰でも売れる?)。
だから、どんな下手でも1年以上いれば1件ぐらいはなんとか売れる。
そう考えると、僕は売れる客を数人逃がしているはずだ。
なんとも情けない話だ。
2 名古屋の師匠と先生との出会い
売れない営業は去らねばならない。それがこの会社を辞めた理由だ。
辞める時引き止められて、社長と喧嘩別れするように辞めることになった。
その社長にはとてもかわいがってもらった。
売れない営業の僕は、なぜかこの社長に気に入られていた。
社長は仕事が終わると自分が出資している居酒屋で酒を飲み、僕はよくそこに呼び出された。
そこでは、社長と土地家屋調査士の先生や仕事の関係者が集まって、業界話に花を咲かせていた。
今でもたまにそこに行って、社長と先生に近況報告している。
その社長は僕の名古屋の師匠であり、その先生は僕の名古屋の先生だからだ。
その会社の宅建主任者は糖尿病で目が悪く、僕は空いた時間に契約書・重説のチェックをしていた。
たまに法律的な調査を手伝ったり、アドバイスしたりしていた。
ただ、社長が売れない営業の僕を教育してくれたのは、そんなつまらない理由ではないと思う。
一代で財を築いた男の酔狂としか思えない、今でも分からない、ただただ尊敬、感謝するしかない。
3 営業が苦手な人間が士業を目指すということ
その会社を辞めた表向きの理由は、司法書士を目指すためだった(1件も売れなかったなんて、恥ずかしくて人に言えなかった)。ただ、表向きとはいえ僕は本気だった。
営業ができない人間が士業にこだわるなど、滑稽以外のなにものでもないのだが、当時の僕は司法書士レベルの資格をとれば、なんとかなると本気で盲信していた。
この時には、あれほど僕を苦しめた精神疾患も治癒し、再発することもなかった。
また実家に戻り、コンビニでアルバイトをしながら、司法書士の勉強を続けた。
1年勉強して結果は不合格だった。
ただ、コンビニのアルバイトは楽しかったし、まだ1年目なので勉強を続けるつもりだった。
ところが、この頃の親のプレッシャーがはんぱではなかった。
今振り返れば、この頃の親子関係が一番険悪だった。
息子がコンビニでアルバイトをしているという事実が、世間に対して恥ずかしかったらしい。
僕自身はそんなことには無頓着だったから(今でもそうだけど)、そんなくだらないことで僕に愚痴を言うのが、理解できないし腹が立ったし、(僕の親はこの程度の人間なのかと思うと)悲しかった。
けれど、それは神様が与えて下さったきっかけだった。
営業ができない人間が士業を目指すべきかどうかという、根本的な問題に向き合わざるを得なかった。
答えはもちろんNoだった。
個人事務所で人の下で働くだけなら、極端な話、資格なんて必要ない。資格者の名前で文書を作ればいいだけの話だ。
いやしくも士業を志すなら、そこで修行して晴れて独立するのを目標としなければならない。
あぁ・・・僕には無理だ・・・無理なことだったんだ・・・
「僕が人生の進路変更をしたのは営業ができなかったから」だ。
4 人生の再起をかけて
それで結局、技術を身に付ければやり直せると考え、エンジニアを目指すことにした。「プログラミングってかっこいい」という理由で、プログラミングの学習から始めた。
コンビニのアルバイトを続けながら、情報処理技術者の通信講座を始めた。
基本資格である基本情報技術者をとり、通信キャリアの派遣会社で派遣エンジニアとして働くことになった。
ちなみに、コンビニのアルバイトは今までで一番楽しい仕事だった。
年下のオーナーは、厳しいところもあったけど、基本的には年上の僕に気を使ってくれた。
一緒に働く年下の女の子たちは、かわいい子ばかりだった。
昼間勤務の主婦の人たちは、気のいい人ばかりだった。
働く際に重要なのは人間関係だと再認識した。
・プロフィールへ戻る。