進路指導観。
1 受験勉強して有名大学に行く意味
日本経済は低成長時代に入り、バブル崩壊後は長引くデフレ経済に苦しんできた。大学を卒業すればよいという時代ではなくなってしまった。
時々、教育や学歴に関する、一見暴論に見えるような極論を散見する。
「文系の大学は意味がない、理系に進まないのはアホだ」とか、「どうしても文系に進むのなら、東大京大でないとムダだ」とか、「医学部以外行く意味あるの?」とか。
社会人としての知識や経験がある程度身に付いていれば、社会はこのような単純なものではなくもっと複雑なものであり、これらの意見はあくまでも極論に過ぎないと分かるはずだ。
しかし、こうした極論は、物事を改めて考察する際には意外と役に立つ。
日本型雇用が崩壊するとずっと言われ続けているけれど、日本の大企業における日本人採用に関しては、新卒一括採用がまだ生きているようだ。
そのような状況では、日本で大きな会社に就社したければ、学校歴は有名大学でなければ難しいのかもしれない。
逆から言えば、日本で大きな会社に就社するつもりがないのなら、無理して受験勉強して有名大学に行く必要もないのかもしれない。
2 勉強が苦手だったなら、どのような人生を歩んでいただろう
僕が最近考えていることを以下にメモしようと思う。もし僕が今、(あまり勉強が得意でない)高校生だったら、無理して有名大学を目指さないかもしれない。
極論すれば、高校も大学も大学院も通信制でいいと思う。
もちろん、自分で勉強を進めることができる力を身に付けているのならば、という留保は付くけれど。
通信制で自分のペースで勉強して、アルバイト等で働いてお金を貯めて、学歴が整ったら貯めたお金で海外留学するなり、海外就職すればいいと思う。
新卒で大企業に就社することしか見えなくなるほど視野が狭くなると、就活で失敗したときや、入社数年で挫折して退職してしまった場合に、立ち上がって人生を立て直すためのお金やエネルギーがなくなってしまうかもしれない。
3 極論に対する反論も一応書いておきます
最後に、最初の方で例示した極論に対する反論を書いて、中和しておこうと思う。人間には特性がある。
英語などの語学が得意な子、数学や物理が好きな子、日本史、世界史が好きな子・・・
通訳や翻訳の仕事がしたい人、技術者になりたい人、国語の先生になりたい人・・・
さらに、学ぶことの意義は、就職するための資格や能力だけではない。
と言うよりも、学ぶことそれ自体に価値がある。
いろいろな人間がいて、いろいろな意見があるから、この社会は複雑で、だからこそ経済が成長し社会が安定したときに、その活力と幸福が増進されるのではないか。
理系/文系の別を語るものいいけれど、自分の進路を考える際には、そのような二分論は単純過ぎてあまり意味がないと考えることもできることを知っておいてほしい。