法律の世界と実務の世界。
1 元行政書士のブログ
世の中にはいろいろな人がいるけれど、何か事情があって弁護士をやめた方が元弁護士のライターという肩書で、法律系のライターとして活躍されているらしい。この方に限らないし、資格は弁護士に限らないのだけれど、元士業ライターあるいは資格試験には合格したけれど登録せずにその分野に詳しいライターとして活躍されている方は、意外と多いように感じる。
僕は別に行政書士を廃業したらライターになるつもりはないのだけれど、元行政書士のブログになるにしても、このブログにもう少し法律系の記事があってもよいような気がするので、今回は少し法律に関する記事を書こうかと思う。
とは言っても、行政書士に限らず本来業務をバリバリこなす方々が書くような、充実していてためになる記事は書けないので、本当に個人的な経験に基づく話を書こうかと思う。
2 最初の民間企業で簿記を勉強させられて
わずか2年で地元の市役所を退職した後、ある民間企業で総務経理の仕事をすることになったのだけれど、その会社では簿記資格の取得を奨励していた。もともと勉強自体が好きな性格なので、真面目に勉強して資格自体は取ることができたのだけれど、業務上の会計処理は先輩に教えられるままにあまり深く考えずに処理していた。
今振り返れば、今現在僕が個人事業主として実践しているある意味いい加減な処理に比べれば、当時その会社で実践していた会計処理は非常に正確で真面目なものだった。
ところで、何を当たり前のことを言っているんだとバカにされるかもしれないけれど、この会社に限らず全国の会社、会社に限らず商売をしている事業主は、この簿記という歴史的な発明を昔から当然の前提として使ってきたけれど、簿記を使う法的根拠はどこにあるのだろうか。
3 会計原則
僕は不動産営業時代に少しだけ不動産鑑定士の勉強をしたことがある。
・不動産鑑定士試験から受験もせずに撤退した話。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2017/12/blog-post_31.html
不動産鑑定士試験には会計学の科目があったのだけれど、法学部で普通に単位を取得しただけの僕は、それまで会計学の勉強をしたことがなかった。
商法や会社法の勉強はしたことがあったけれど、簿記や会計学の勉強をしたことがなかった訳で、ここでようやく法律の世界と現実の会計実務を具体的にリンクしている仕組みを理解した訳である。
こんなことは、公認会計士や税理士試験の勉強をしたことがある人にとっては、何を今更というほどの話かもしれないけれど、僕にとっては法律の世界と、法律と明示的にはリンクしていないように見える現実の実務との接続箇所を発見した、多分最初の体験だった。
具体的に言うと、我々が簿記を使うべき理由は、企業会計原則のいうところの正規の簿記の原則である。
そして、この会計原則なるものに従うべき理由、法的根拠は、商法や会社法等の法律の中にこの会計原則に従うべしとする条項があるからである。
その代表的な条文として、ここでは会社法の条項だけ例示しておく。
会社法
第431条 株式会社の会計は、一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行に従うものとする。
ただ、この会計原則は、時代とともに変遷している。
正確に言うと、新しい基準によって上書きされている。
そして、このような法律ではないもの、政令、省令、告示、通達、行政指導などその名称はいろいろだけれど、日本のような行政国家では事実上の基準として、ほぼ法律として強制されることになる。
ちなみに、日本の会計や税制の世界において、その考えが権威的に通用しているのは財務省のようである。
4 技術の世界もまたしかり
僕は派遣エンジニアをやめた後に電気工事の職業訓練校で学んだけれど、電気の世界にも上記のような基準が権威的に存在している。電気設備に関する技術基準を定める省令、いわゆる電気設備の技術基準である。
電気の世界の権威的な存在は経済産業省であり、経済産業省はご丁寧にも「電気設備の技術基準の解釈」を作成、公表している。
ちなみに、具体的な法的根拠となる条文は、次のとおりである。
電気事業法
第39条(事業用電気工作物の維持)
第1項 事業用電気工作物を設置する者は、事業用電気工作物を主務省令で定める技術基準に適合するように維持しなければならない。
第56条(技術基準適合命令)
第1項 経済産業大臣は、一般用電気工作物が経済産業省令で定める技術基準に適合していないと認めるときは、その所有者又は占有者に対し、その技術基準に適合するように一般用電気工作物を修理し、改造し、若しくは移転し、若しくはその使用を一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限することができる。
5 日本は高度に洗練された行政国家である
会計、税制、電気の世界は奥が深いので、上記で例示したのは原則的な基準、入口に過ぎない。各世界には、もはや専門当事者でなければ理解できなくなってしまった細かな基準、ルールの世界が、きめ細かく繊細に構築されている。
正に、神は細部に宿るのである。
そしてこのことは、会計、税制、電気の世界に限られない。
不動産取引は国土交通省、不動産登記は法務局(法務省)、労働法制は厚生労働省、教育制度は文部科学省など、各世界には各省庁が権威的に存在し、細かな基準が無矛盾、矛盾が生じてもうまく調整できるよう、一種の芸術品のように組み立てられている。
これこそ、政治学、行政学で大まかに指摘される、行政国家化現象の日本における現実であり、その規制国家化により現代日本を蝕む弊害が、いわゆる「レント・シーキング」なのである。