人生と学歴、いつか熱は冷めて夢は進化する。
1 日本の就活の変化の兆し
日本的経営と新卒一括採用と終身雇用は、制度疲労によりもう既に限界であるとは結構前から各種識者によって指摘されてきたことだけれど、それが完全に変容するまでにはまだまだ時間がかかると思っていた。少なくとも僕が引退するまでは、だましだまし続けられていくのだろうと思っていたのだけれど、最近の就活ルールの変更に関するニュースを見ていると、案外その時期は早く訪れるのかもしれない。
・就活ルールを廃止して「大学入学」を就職の条件に 池田信夫(アゴラ)
・日本の就活避け22歳でドイツに脱出した私が就職できずどう生きたか 日本の「就活ルール」も変わるらしいし 雨宮紫苑(講談社 現代ビジネス)
2 日本の学(校)歴社会
日本だけではなく、海外でも学歴社会が高度化して学歴インフレと揶揄されるような現象が起きているけれど、日本の学歴社会は日本の雇用慣行とリンクして、日本的な特徴があるようである。端的に言えば、大卒という学歴よりも、どこの大学を卒業したかという学校歴が重視され、少しでも偏差値の高い学校への進学が奨励される。
どういう職業に就くかという観点が無視されている訳ではないけれど、就職というよりも大企業や有名企業に就社するためには、学歴フィルター(学校歴フィルター)を意識せざるを得ないのだろう。
3 この記事を書く理由
日本の学歴(学校歴)社会とか就活ルールとか、その良し悪しを議論する気はないのだけれど、海外ではもっとシビアな学歴社会が構築され学歴インフレが起きているのであれば、将来海外での活動を夢見ているのであれば、一定の学歴を整えておく方がよいというのが、私見である。・進路指導観。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2015/03/blog-post_17.html
エリート校を卒業してそのままエリート街道を歩む方々は別として、何らかの理由でそういうレールから降りたとしても、通信制の学校などで学歴を整えて人生の夢を追うことは可能だと思う。
僕は教育関係の仕事に就職しようと思い、そのための就職活動をしていた時期が少しあり、僕自身、通信制の大学や大学院を利用していた時期もあるので、そんなことを少し書いてみようかと思う。
4 通信制の高校
通信制の高校はいろいろあるので、興味があれば検索して自分で調べてみればいいと思う。歴史の古いNHK学園高等学校や、近年開設されてその界隈で話題になったN高等学校など、全て列挙しようとすると本当にきりがなくなるので、やめておく。
ただ、一点だけ指摘しておくけれど、通信制高校卒業や高等学校卒業程度認定試験(高認)合格を支援するためのサポート校を高校そのものと誤解している人がいるけれど、正確には別ものである。
要するに、高卒資格を得るためには、通信制高校を卒業するか高認に合格するか、どちらかである。
5 通信制の大学(院)
通信制の大学もいろいろあるので、全て列挙できないししようとも思わないけれど、一番有名なのは放送大学だろう。放送大学には大学院もあり、修士課程や博士課程まで用意されている。
修士号を得るためには修士全科生として論文を執筆して修了する必要があるけれど、修士選科生として単位を取得することもできるので、興味本位であれば修士選科生として受講してみると、雰囲気がよく分かると思う。
ちなみに、僕が高校数学教員免許のために不足単位を取得したのは、北海道情報大学通信教育部である。
大卒資格があれば、通信制の大学で教員免許のために不足単位を取得できるけれど、大学時代に教員免許を取得していないのであれば、いずれにしても母校等での教育実習が必要になるので、そんなに簡単なものでもない。
6 通信制の海外大学(院)
海外の大学や大学院を通信で卒業できる場合もあるけれど、その大学や大学院が信用できるか調べるのも、レポートの提出や試験、スクーリングなど結構ハードルが高そうである。そもそも、そういうことを自分で調べる力がなければ、通信制であろうと海外の学校を卒業するのは非常に難しそうである。
これについては個人的な経験もないし知識も乏しいのでこれ以上言及できないけれど、たとえば将来的にその国に行って暮らしたいというくらいの情熱があるのであれば、やってみる価値はあるのかもしれない。
7 人生と情熱の賞味期限
大学(院)進学については、通学制に進学して、学費免除や奨学金を得た方が逆に安上がりだという指摘もあるけれど、住んでいる場所という制約や、今の仕事を辞められないなど時間という制約があり、通信制を選択せざるを得ない人は結構いると思う。資格については、「足の裏についた米粒と同じで、取らないと気になるけれど、取っても食えない」という比喩がある。
学歴についても同様のことが言えるかもしれない。
ただ、動機がどのようなものであれ、そういう勉強したいという情熱があるときこそ、正に勉強するべき時期なのだと思う。
「鉄は熱いうちに打て」というけれど、不思議なもので、先延ばしして時間が経過すると本当にその情熱が失せてしまう場合がある。
僕は一時期放送大学の大学院修士選科生として単位をいくつか取得して、そのまま修士全科生となって修士号を取りたいと思っていたのだけれど、今はその情熱もなくなってしまった。
8 成長が夢を変化させる
夢や希望は、人の成長とともに変化するけれど、それが普通なのかもしれない。人生はいつからでもやり直せるというのも真理であるけれど、そのときにしかできないことが確かにある。
学歴を得ること、あるいはそのために勉強することが、人生を変える何かのきっかけになるかもしれない。
何度も言うけれど、学歴や資格に対するあこがれや、そのために勉強したいという情熱は決して永遠に持続するものではない。
林修先生の「今でしょ!」という名言は、この世で一番簡潔な、人生の至言なのである。