令和3年度第2回高認国語問5【古文】
1 原文
唐の太宗、即位の後、古殿に栖み給へり。
破損せる間、湿気上り、風露冷じうして、玉体侵されつべし。
群臣造作すべき由を奏しければ、太宗の云はく、
「時、農節なり。民、定めて愁あるべし。秋を待ちて造るべし。
湿気に侵されば、地に受けられず、風雨に侵されば、天に合はざるなり。
天地に背かば、身あるべからず。民を煩はさずんば、自ら、天地に合ふべし。
天地に合はば、身を侵すべからず。」と云ひて、終に宮を作らず、古殿に栖み給へり。
俗、なほ、かくの如く、民を思ふこと、自身に超えたり。
況んや、仏子、如来の家風を受けて、一切衆生を一子の如くに憐むべし。
我に属する侍者・所従なればとて、呵責し、煩はすべからず。
いかに況んや、同学の耆年・宿老等を恭敬すること、如来の如くすべしと、戒文分明なり。
然れば、今の学人も、人には色に出でて知られずとも、心の内に、上下、親疎を分たず、人のために善からんと思ふべきなり。
大小事につけて、人を煩はして、心を破ること、あるべからざるなり。
(『正法眼蔵随聞記』より)
2 現代語訳
唐の太宗は即位後、古い宮殿に住んでいた。
破損している間、湿気は上がり、風や露は冷たく、天子の健康が害されてしまうだろう。
群臣は、造作するべきであると奏上した。太宗は言った。
「今は農事に忙しい時期である。民衆にきっと憂いがあるだろう。秋を待って造るべきである。
湿気に害されれば、地に受け入れられていないということ。風雨に害されれば、天に合っていないということ。
天や地の意思に背けば、身体はない。民衆を煩わさなければ、自然と天や地の意思に合うだろう。
天や地の意思に合えば、健康は害されない。」と言って、遂に宮殿を作らずに、古い宮殿に住んだ。
俗世でもこのように、民衆への思いが自身を超えたのだ。
まして仏子、如来の家風を受けては、一切衆生を子のように憐れむべきである。
自分に属する侍者・従者だからといって、呵責し、煩わしてはいけない。
まして同学の年功を積んだ人や、長い間修業を積んだ老僧等を謹んで尊敬するのは、如来のようにするべきであると、戒律の条文に明らかである。
だから、今の修行僧も、顔色に出て人に知られなくても、心の内で、年齢や身分、親しさに関係なく、相手にとって良いことを考えるべきである。
大事や小事につき、人を煩わして、心を破るようなことをしてはならない。