令和2年度第1回高認国語問5【古文】
1 原文
その後、この玉取りの男、太秦に参りて帰りけるに、暗くなる程に御堂を出でて帰りければ、夜に入りてぞ内野を通りけるに、応天門の程を過ぎむとするに、いみじく物怖ろしく思えければ、「何なるにか」と怪しく思ふ程に、「実や、『我を守らむ』と云ひし狐ありきかし」と思ひ出でて、暗きに只独り立ちて、「狐々」と呼びければ、こうこうと鳴き出で来にけり。
見れば、現にあり。
「さればこそ」と思ひて、男狐に向かひて、「和狐、実に虚言せざりけり。いと哀れなり。ここを通らむと思ふに、極めて物怖ろしきを、我送れ」と云ひければ、狐聞き知り顔にて見返る見返る行きければ、男その後に立ちて行くに、例の道にはあらで異道を経て行き行きて、狐立ち留まりて、背中を曲めて抜き足に歩みて見返る所あり。
そのままに男も抜き足に歩みて行けば、人の気色あり。
やはら見れば、弓箭兵杖を帯したる者ども数立ちて、事の定めをするを、垣超しにやはら聞けば、早う盗人の入らむずる所の事定むるなりけり。
「この盗人どもは道理の道に立てるなりけり。さればその道をば経ではざまよりゐて通るなりけり。
狐それを知りてその盗人の立てる道をば経たる」と知りぬ。
その道出で果てにければ、狐は失せにけり。男は平らかに家に帰りにけり。
狐これにあらず、かやうにしつつ常にこの男に副ひて、多く助かる事どもぞありける。
実に、「守らむ」と云ひけるに違ふ事なければ、男返す返すあはれになむ思ひける。
かの玉を惜しみて与へざらましかば、男吉き事なからまし。しかれば、「賢く渡してけり」とぞ思ひける。
(『今昔物語集』より)
2 現代語訳
その後、この玉を取った男は、広隆寺に参って帰った。暗くなる頃に御堂を出て帰ったので、夜になってから大内裏の中を通った。応天門の辺りを通り過ぎようとすると、非常に薄気味悪く感じた。「どうしたことだろう」と怪しく思い、「本当に、『私を守りましょう』と言った狐がいたんだよな」と思い出した。暗闇に独り立ち、「狐、狐」と呼びけると、こうこうと鳴きながら出て来た。
見ると、現実にそこにいる。
「それならば」と思い、男は狐に向かって、「狐や、本当に嘘を言っていなかった。非常に感心した。ここを通ろうと思うのだが、非常に薄気味悪く感じる。私を送ってくれ」と言った。狐はすでにそれが分かっているような顔つきで、振り向いて見たりしながら進むと、男はその後に立って進んだ。いつもの道ではない異なる道を通って進んで行くと、狐が立ち止まって、背中を丸めて抜き足で歩いて見返す場所があった。
そのまま男も抜き足で歩いて行くと、人の気配がある。
そっと見ると、弓矢や刀剣などの武器を持った者たちが大勢立って評議していた。垣根越しにそっと聞くと、なんと盗人に入る所の評議であった。
「この盗人たちは表通りに立っていた。だからその道を通らないで、その間を通ったのだ。
狐はそれを知っていて、盗人の立っている道を迂回したのだ」と分かった。
その道を通ってしまったので、狐は姿を消した。男は無事に家に帰った。
狐はこれだけでなく、このようにして常にこの男の側にいて、助けられることがたくさんあった。
本当に、「守りましょう」と言ったことを違えることがなかったので、男は何度も何度も感心した。
あの玉を惜しんで返さなかったら、男に良いことはなかっただろう。だから、「賢く与えた」と思った。