平成25年度第1回高認国語問3【古文】
1 原文
折節、かのきしゆ御前、稲荷の山より見おろして、うつくしの中将殿や、われ人間と生れなば、かかる人にこそ逢ひ馴るべきに、いかなる戒行によりて、かやうの身とは生れけるぞや、あさましさよと思ひけるが、よしよしひとまづ人間のかたちと化け、 一旦の契りをも結び候はではとおぼしめし、乳母の少納言を近づけて、「いかに聞き給へ。われ思ふ子細あり、いざや都に上り候ふべし。さりながら、この姿にて上りなば、人目もいかが候はん。十二単袴着せてたべ」。乳母、このよしを聞き、「今ほど都には、鷹犬などと申して、家々ごとに多ければ、道のほども御大事にて候ふぞや。そのうへ、御父命婦殿、御二所様きこしめし候はば、わらはがしわざとのたまはんこと疑ひなし。おぼしめしとまり候へ」と申しける。姫君きこしめし、「いかにとどめ給ふとも、われ思ふ子細ありて、思ひ立ちぬることなれば、いかにとどめ給ふとも、とまるべきにてあらず」とて、うつくしく化けなしてこそ出でにけり。
さるほどに、中将殿は、この姫君を御覧じて、夢か現かおぼつかなしと御覧じけるに、そのかたち言ふはかりなく、まことに玄宗皇帝の楊貴妃、漢の武帝の世なりせば、李夫人かとも思ふべし、さてわが朝には、小野良真が女小野小町などといふとも、これほどこそありつらん、いかさまいづくの人にてもあれ、よきたよりぞとおぼしめし、乳母とおぼしき女房に、「これは、いづくよりいづかたへ通らせ給ふ人やらん」と御尋ねさせ給ふ。
乳母嬉しくて申しけるやうは、「これは、さる人の姫君にてましますが、継母に言ひ隔てられさせ給ひ、父の不孝をかうぶり給ひ、これを菩提の種として、いかならん山寺にも引き籠り給はんとの御ことにて候ふが、これを初めの旅なれば、道踏み迷ひて、これまで参りて候ふが、はばかり多く候へども、一夜の御宿を仰せつけられ候うてたび給へ」と、さもありありと申しければ、中将嬉しくおぼしめし、この年月色好みし侍りしかば、かやうの人に逢はんとのことにてこそありつらん、よしよし誰にてもあれ、これも前世の宿縁とおぼしめし、「こなたへ入らさせ給へ」とて、わが御屋形へ伴ひ、御乳母に春日の局に仰せつけ、さまざまにこそ御もてなしかしづき給ふこと、申すはかりはなかりけり。
(『御伽草子集』より)
2 現代語訳
そのとき、あのきしゆ御前が稲荷の山より見下ろして、美しい中将殿や、私が人間として生まれていれば、このような人にこそ出逢い親しくなるべきなのに、どのような前世の行いのせいで、このような身として生まれたのであろうか、情けない話よと思ったが、よしよしひとまず人間の姿に化け、 かりそめの契りを結んでしまおうとお思いになり、乳母の少納言を近づけて、「どうかお聞きください。私には考えがあります、さぁ都に行きましょう。そうは言っても、この姿で行けば、人目もあるのでどうしましょう。十二単袴を着せてください。」乳母はその旨を聞き、「今都には、鷹犬と呼ばれる犬がそれぞれの家に多いので、道中十分注意しなければなりません。その上、ご両親様がこのことをお聞きになれば、私の仕業とおっしゃられることは間違いありません。思いとどまってください」と申し上げた。姫君はお聞きになり、「どのようにやめさせようとしても、私には考えがあって、思い立ったことなので、どのようにやめさせようとしても、私はやめるつもりはありません」と、美しい姿に化けて出ていった。
そうして、中将殿はこの姫君を御覧になって、夢か現実か分からないと思われたのだが、その姿は言葉で言い尽くせないほどで、本当に玄宗皇帝の楊貴妃か、漢の武帝の世であれば、李夫人かというほどに思われ、さて我が国では、小野良真の娘の小野小町といっても、これほどではない、一体どこの人であろうか、この上ない機会だとお思いになり、乳母と思われる女房に、「この方は、どこからどこへお行きになる人ですか」とお尋ねになった。
乳母は嬉しくなって申し上げるには、「この方は、あるお人の姫君でいらっしゃいますが、継母に言い隔てられて、父親から不孝者として追い出され、これを仏道における悟りを開くきっかけとして、どこかの山寺にでも引籠りなさろうということなのですが、これが初めての旅ですので、道に迷って、ここまで来てしまいました。大変心苦しいのですが、一夜の宿をお許しになってください」と、さもありありと申し上げたので、中将は嬉しくお思いになり、これまでの年月色好みしてきたが、このような人に出逢うためのことであったのだ、よしよしどのような人であろうとも、これも前世の宿縁とお思いになり、「こちらへ入ってください」と、自分のお屋形へ連れていき、乳母に春日の局に仰せつけ、いろいろおもてなしなされたのだが、言葉で言い尽くせないほどであった。
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