平成26年度第1回高認国語問3【古文】
1 原文
右近が言ひしままに、初瀬詣でのよし、人々にも言ひ聞かせて、宵より右近をば呼ばせて、暁は、まだ夜をこめて急ぎ出づる。かしこにては、例のしるべの童をまづ入れて、「かく」と聞こゆれば、心騒ぎもせん方なくて、まづうち泣かれ給ふ。
尼君、かひがひしき本性にて、さるべき所、とかくひきつくろひなどして入れ給へり。姫君にも、かひなき墨染なれど、あざやかなる御衣に奉り替へさす。「いと、うたて、見まうき御袖の色かな。まして、今いかに見つけ聞こえ給ひてん。人の御心の内、思ひやるこそいみじけれ」とて、うち泣き給ふ。「げに、いかばかり」と思ふに、はしたなくて、え出でやり給はぬを、「あまり心づきなきやうにや、人も思ひ給はん」と、わびしければ、中の障子口に几帳添へて、ゐざり出で給へり。
母君、うち見るより心惑ひして、ものもおぼえねば、ただむせかへるばかりなり。いく程の年月も隔たらねど、ありしにもあらず衰へて、さしもきよげに肥り過ぎたりし人の、面変はりするまでなりにけるを見給ふに、姫君の心の内、「ただ我ゆゑならんかし」と、罪得がましく思し知られて、いみじう泣き給ふ。右近も、よそにて思ひやり聞こえつる悲しさは、ものの数ならず、見奉るに目もくれて、ここにては今ひとしほ涙におぼれ居たり。
いと久しくなりぬれど、たがひにうち出で給ふ言の葉もなし。母君、からうして、ためらひつつ、「今まで、かくあるにもあらぬさまながらも長らへ侍るは、不思議にてなん。そのままに命絶えなましかば、今日はいかでか見奉らん。されば、いかで風のつてにも、かくこそはと、ほのめかし給はざるけることの、つらう悲しきに、今だに変はらぬ御姿見奉らば慰みなん。かくかひなき御さまになり給ひにければ、いとど心地も惑ひたること」と、言ひ続けて、臥しまろび給へる。ことわりに、置き所なく、ただ涙にのみむせびて、いらへもし給はず。
(『山路の露』より)
2 現代語訳
右近が言ったように、初瀬詣での際に、人々にも言って聞かせて、宵のうちから右近を呼ばせて、暁に、まだ夜が明けないうちに急いで出発した。そこでは、例の案内役の童子をまず中に入れて、「かくかくしかじか」と申し上げたので、心が落ち着かずどうしようもなくて、まずお泣きになった。
尼君はしっかりした性格だったので、しかるべき所をあれこれ取り繕って、お入れなさった。姫君も、粗末な墨染めの衣服ではあるけれど、きれいなものにお着替えになった。「本当に嫌な、見たくもない袖の色でしょう。まして、今どのようなお気持ちで拝見なさるでしょう。その心の内を、思いやるだけでもつらいことです」とお泣きになった。「本当に、どんなにつらいでしょうか」と思うと、体裁が悪くて、出てこれないのを、「あまり気乗りしないのではと思われるだろう」と、やり切れずに、中の障子口に几帳を添えて、座ったまま膝で移動してお出になった。
母君は見るなり動揺して、どうしてよいか分からないので、ただむせび泣くばかりであった。それ程の年月も経っていないけれど、以前とは違って衰えて、あんなにきれいにふっくらしていた人が、顔が変わってしまうほどになったのをご覧になり、姫君の心の内は、「ひとえに私のせいに違いない」と、罪悪感を思い知られて、ひどくお泣きになった。右近も、その前に想像していた悲しさはものの数ではなく、拝見しているうちに目もくらんで、今ここでは一層涙を流していた。
十分に時間が経っても、お互いにお言葉が出てこなかった。母君はようやく、ためらいながら、「今まで、生きているとも言えないような状態で生き長らえてきたのは、不思議なことです。そのまま私の命が絶えてしまったならば、今日はあなたにお目にかかることができなかったでしょう。だから、どうにか風の便りでも、このようにしておられると、それとなくお知らせにならなかったことが、つらく悲しかったけれど、今でも変わらないお姿を拝見したならば、心も慰められたでしょうに。このようにどうしようもないお姿になってしまわれたので、一層動揺してしまいました」と、言い続けて、床に伏して嘆き悲しまれた。その道理に、どうしてよいか分からず、ただむせび泣き、お答えになることもできなかった。
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