快楽を低級なものと高級なものに分類する必要はない。
1 功利主義
僕はベンサムを信奉する素朴な功利主義者だけれど、ベンサムの主張が今でもそのまま全て正しいとするベンサム原理主義者ではない。個人的には、道徳や倫理などを素朴な功利主義で説明する意義はあまりないと思う。
政治的功利主義として、「他の(政治)理論から導出される直観的だが、誤った主張を説得的に是正する」ことができれば上等だと思うし、功利主義にそれ以上のものを望むのはどうかと思う。
・政治的功利主義。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2015/03/blog-post_20.html
2 快楽に低級も高級もない
道徳や倫理を論ずるにしても、快楽に低級なものと高級なものがあるという価値判断をわざわざ導入する必要はない。ベンサムの功利主義を継承した偉大な哲学者ミル自身が提唱した、他者危害排除の原則という自由主義の真髄さえあれば十分だと思う。
例えば、覚せい剤はなぜ禁止されなければならないのだろうか。
快楽に低級も高級もないのであれば、覚せい剤などの薬物は自己責任で自由に使用できるようにしてはダメなのだろうか。
僕は薬物や薬物依存症の専門家ではないので、一般的な知識による一般論を述べることしかできないけれど、薬物の乱用による薬物依存症により、人生が壊滅的に壊れる可能性があるからだろう。
3 政策科学
薬物依存症により人生を壊滅させる人々が巷にあふれれば、その国家は衰退し滅亡してしまう可能性もある。国家がそういうものを政策的に禁止するのはある意味当然だろうけれど、それが常識であると過信することなく、政策の効果を科学的に実証することが重要だと思う。
政策科学こそ、政治学における最先端の分野なのである。
・移民政策の科学。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2017/01/blog-post_24.html
4 進化論
個人レベルの道徳や倫理の話は別として、個人が社会において生き抜くための生存戦略、あるいはそれが企業や国家レベルのものであっても、進化論的な視点で考えればよい。薬物で幸福感を得ることができたとしても、依存症などで人生を壊滅させ、ひいては国家を滅亡させては本末転倒だろう。
功利主義を論ずるにしても、政治的功利主義として限定的に用いればよいだけの話であり、快楽には低級なものと高級なものがあるなどという論法をわざわざ導入する必要はないと僕は思う。