社会科学の宿命。
1 経済学は科学と呼べるか
経済学の理論は素人には訳が分からないほど高度化しているのに、現実の政治経済に対する適切な政策を、タイムリーに提言できているかと言うとそうでもない。正しいことを主張する経済学者に耳を傾けない政治家が悪いのか、どれが正しい理論なのか容易に判断できないような経済学の現状が悪いのか。
僕にはよく分からない。
・世界を破綻させた経済学者たち:許されざる七つの大罪(Amazon)
2 新自由主義
特に近年、評判が悪くてやり玉に挙げられるのは、新自由主義だろう。・ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く(Amazon)
・ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く(Amazon)
ワシントン・コンセンサスが正しいのか、北京コンセンサスが正しいのか。
ケインズが正しいのか、フリードマンが正しいのか、ケインズが間違っているのか、フリードマンが間違っているのか。
新自由主義の功罪については、政治経済学者、政治経済史家の研究を待ちたいけれど、結局、社会科学の理論は、自然科学の法則のように永遠不変の代物ではないことに留意したい。
オイラーやガウスなどの数学の証明、ニュートンやアインシュタインなどの物理学の理論や法則は、100年、200年先の未来でも通用しているだろう。
しかし、ノーベル経済学賞を受賞したような立派な経済学者の理論が、100年、200年先の未来でどのように扱われているかは、見当もつかない。
見向きもされずに忘れ去られているかもしれないし、間違っていると糾弾されているかもしれない。
3 社会科学の宿命
社会科学の理論は、この時代にはこの条件がそろっているので、このようなモデルで説明できるという代物でしかない。時代が変わって、仮定した条件が失われたり、新しい条件が発生して作用したりして、そのモデルが通用しなくなってしまうというのは、よくあることだろう。
ケインズやフリードマンは正しかったかもしれないけれど、ケインズ主義者やマネタリストが正しいとは限らない。
「自然科学においては、知識の賞味期限、消費期限を意識する必要はあまりないのかもしれないけれど、社会科学においては、知識のアップデートが欠かせない。」
「社会科学では、中学や高校の教科書で学んだような基礎的な知識や用語が使えなくなることさえある。」
・『FACTFULNESS』。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2019/08/factfulness.html
それこそ社会科学の醍醐味だろう。
4 パンフレットではなく、ブログに書き散らす
「経済学者の仕事の真髄は、パンフレットを書くことだそうだ。」・パンフレットとしての『一般理論』(池田信夫 blog)
・経済学者の本業は「パンフレット」を書くことである 池田信夫(アゴラ)
・99%の凡人は天才になれないことを悟った後に、人生に何を見出すのだろうか。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2018/10/99.html
僕が今日もブログを書き散らすのは、自分に政治学者や経済学者のような知見があると自負するからではない。
本職の政治学者や経済学者さえ間違えてしまう、社会科学の深淵に少しでも迫りたいという試みである。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」(フリードリヒ・ニーチェ)
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