学問の意義。
1 大学・大学院で学ぶ人々
10年以上前のことだけれど、放送大学大学院の修士選科生として学習していた時期があった。放送大学はインターネットやDVDで学習できるのだけれど、単位取得のためにレポートを提出したり、単位認定試験を受けなければならない。
当時はコロナ禍前で、学習センターでの受験が一般的だったので、他の受験者の様子を見ることができた。
現役の看護師が多くいて、試験前に知り合い同士で雑談したりしていた。
僕はそれを見て単純に、働きながら勉強する向学心に感心していた。
2 学問は役に立つ・・・こともある
今振り返ると、彼女たちが放送大学で勉強していた理由は、単純な向学心あるいは学歴コンプレックスではなかったと推測できる。キャリアアップのために、大卒あるいは院卒の学歴が有用なのだと思う。
看護学の分野は実務経験が重視されるので、実務経験を積んだ看護師が大卒あるいは院卒の学歴を取得すると、キャリアアップの道が開けるのである。
単純に給料がアップしたり、現場でリーダーあるいは専門的な役職についたり、他の職種とか研究職に転向したり、大学や専門学校の講師になったり・・・
ちなみに、実務経験のある看護師は、語学の素養があれば海外で活躍できたりもする。
海外で活躍したいなら、医学部卒業後に海外留学するよりも、その方が確実かもしれない。
・JICA海外協力隊 - 職種別一覧
3 学問は役に立たない
昔は、大学進学が就職するために有用だと素朴に信じている人が多かった。しかし、AIの驚異的な進化のために、その信仰は神話に過ぎないのではないかと疑うことができる人が増えてきた。
そもそも学問は、余暇を持て余した人々の特権だった。
科学技術が発展し、一般の人々の生活が昔に比べて豊かになった。
召使いを雇わなくても、水道の蛇口をひねれば水が出るし、炊飯器がご飯を炊いてくれるし、給湯器がお湯を沸かしてくれるし、洗濯機が洗濯をしてくれるようになった。
一般の人々が学問を志すことができるのは、その社会が豊かだからである。
4 至高の学問
学問についての個人的な思いは、下記の記事を参照してほしい。・至高の学問。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2014/06/blog-post_9.html
政治とは人生(人間の生き方)そのものであり、経済とは人間の生活そのものである、というのが僕の持論である。
5 (社会)科学の手法
別の記事に書いた要点を、ここにメモしておく。・コミュニティという言葉で世界を捉える。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2025/09/blog-post.html
(1)モデル(仮説)の構築
(社会)科学においてはシンプルなモデルを構築し、研究対象を分析することがある。無数に存在する個々の要素について、その動きと相互作用を全て計算・予測・総合することをあきらめ、研究目的のために割り切るのである。
モデルを構築すれば、場合によっては確率・統計の手法を駆使する必要があるかもしれないけれど、一般的な問題は大体理解することができる。
(2)主観と客観
客観的には、私がいてもいなくても世界は変わらず存在し続ける。しかし、主観的には、私がいない世界は、私にとって存在しないも同然である。
私が認識するから、この世界は存在する。
そもそも、客観的な世界は、私が所属する人間社会における共通認識にすぎない。
この世界をどのように認識・理解するのかは、本質的に個別・具体的なことなのだと思う。
そういう意味で、フェイクとファクトを区別することは、本質的に不可能なのである。
6 最後に
最近、こういう記事をあまり書いてこなかった。以前は、こういう記事をその時の気分で書き散らしていた。
久しぶりにこういう記事を書く気力が湧いてきたので、以前書いた記事を参照しながら私見をまとめてみた。
どんなに科学技術が発展しても、生物学的な人間の本質はあまり変化していない。
そういう意味で、(あらゆる学問を含む)古典に学ぶ余地は大きいと僕は信じている。
偶然この記事を読んだ人のために、何かの参考になれば幸いである。