不惑に至りようやく、無知と傲慢こそ逆に長所だと気付く。
1 人生ビジョン
30代の頃、自分の人生をどうにかしたいとあがいていたので、会社の研修で教えてもらった人生ビジョンの作り方などを参考にしながら、人生ビジョン等を作ってブログに掲げたりしていた。『Dead Poets Society』のキーティング先生の言葉を借りれば、「make my life extraordinary」を望んでいたのである。
いろいろな会社でいろいろな仕事をしてきたけれど、後輩等に仕事などを教えるのが好きだったので、そんな性格に着目して、人生ビジョンとして「人材育成で社会に貢献する」ことを掲げていた。
自分自身を客観的に分析するのは難しいことだけれど、基本的に人に何かを教えるのが好きな人間なのだと思う。
2 地元に帰る
30代の後半には、当初は数学をもう一度、体系的にきちんと学びたいという動機で始めた通信教育だったけれど、教育学の単位も取得、母校にお願いして教育実習までして、高校数学教員免許を取得した。短い期間だったけれど、ボランティアでお世話になっていた教育系NPOの新しいプロジェクトにも協力したりして、今後も教育関係の仕事を続けるという道もあるなぁと考えていた。
そして、40代になるタイミングで決意し、再び地元に帰ってきた。
地元に帰ってきてから、今後の人生の方針を定めるのに1年ほどの時間を費やすことになった。
この1年間が、正直に言えば、非常にしんどかった。
今まで築いてきた自分自身の常識を破壊し、今後生きていくための指針となるような、新しい常識を構築する必要があった。
新しく構築すると言っても、その材料は今まで自分が拾い集めてきた、自分の中にあるものをいくつか見繕って再利用するしかなかった。
3 行政書士を開業して廃業する
せっかく行政書士として開業したのに、1年で廃業してしまうのだから、自分から見ても訳の分からない人間だと思えるけれど、今思えば、このプロセスはどうしても必要だったのだと思う。「東三河に居住したい」という価値観と20代の頃の夢が融合して、「東三河で起業する」という結論に至ったのだけれど、「東三河で起業する」ことと「東三河の市民を顧客にする」ことを結び付ける必要はないことに気付く必要があった。
・戦略の失敗を戦術で補うことはできない。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2018/07/blog-post_14.html
4 「ハングリーであれ。愚か者であれ。」
僕はスティーブ・ジョブズに憧れているので時々この言葉を思い出す。スティーブ・ジョブズと言えば、スタンフォード大学卒業式での有名なスピーチがある。
もし自分が明日あるいは来月死んでしまうのであれば、今取り組んでいることを果たして続けるだろうかという思考実験は、自分自身の価値観を確かめるために非常に有用である。
僕が今取り組んでいる人生の課題は、僕が来月死ぬことになっても、死ぬぎりぎりまで続けると思う、多分。
5 新しい常識を求めて
「学校や会社に行くのがつらいなら別に行かなくてもいい」という意見が、今ようやく市民権を確立しつつあるけれど、学校や会社に行かないことを選ぶのであれば、他にどのような選択肢が存在するのだろうか。・そして最後に個人事業主としての意地だけが残った。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2018/09/blog-post.html
学校や会社に行かなくても生きていけるのは、今の時代なら例えばYouTuberのような特別な才能がある人たちだけだろうか。
あまり夢ばかり見ない方がよいと、オールドタイプの人たちは親切心で忠告するかもしれない。
僕はそれは違うと考えている。今まさに時代が変化している。
インターネット及びコンピュータサイエンスに代表される、新しくて強力なテクノロジーがパラダイムシフトを引き起こす。
テクノロジーが社会を革新し、時代を変革することになるだろう。
信じる者だけが救われる。
10年後20年後に、僕の考えは正しかったのだと時代が証明してくれる、今はそう信じている。
6 不惑
無知の知という言葉はソクラテスに由来するけれど、学問など真理を探究する上で非常に大切な姿勢、誠実さだと思う。Perl開発者として知られるラリー・ウォールは、優れたプログラマの資質として、怠惰、短気、傲慢を挙げているけれど、これはプログラマの三大美徳として今も語り継がれている有名な言葉である。
僕は今まで自分自身の無知と傲慢さを短所だと自戒してきたけれど、不惑を過ぎて今後ますますしょうもないおっさんになるのだから、少し開き直ってもいいのかもしれない。
無知で傲慢なおっさんですけど、何か問題でも?
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