1 原文 鄭人、郷校に遊び、以て執政を論ず。 然明、子産に謂ひて曰はく、 「郷校を毀たば如何。」と。 子産曰はく、 「何ぞ為さん。 夫人朝夕して退きて遊び、以て執政の善否を議す。 其の善しとする所の者は、吾則ち之を行ひ、其の悪しとする所の者は、吾則ち之を改めん。 是れ吾が師なり。 之を若何ぞ之を毀たん。 我、忠善を以て怨みを損するを聞く。 威を作して以て怨みを防ぐを聞かず。 豈に遽かに止めしめざらんや。 然れども猶ほ川を防ぐがごとし。 大決のを犯す所は、人を傷つくること必ず多し。 吾救ふこと克はざるなり。 小決して道かしむるに如かず。 吾聞きて之を薬とするに如かざるなり。」と。 (『春秋左氏伝』より) 2 現代語訳 鄭の国の人々が、村里の学校に集まって、子産の政治を批評した。 然明は子産に言った。 「学校を廃止したらどうですか。」 子産は言った。 「どうしてそんなことをしたりしようか。 人々は朝と夕に出仕して勤務が終わると集まり、政治の善し悪しを議論する。 人々が善いと言うことを、私は行っているし、人々が悪いと言うことを、私は改めている。 私にとって教師のようなものである。 どうして廃止したりしようか。 私は、真心をこめて善を行うことで人の恨みを減らすことができると聞いたことはある。 威圧を加えることで人の怨みを防ぐことができると聞いたことはない。 すぐに人々の批判をやめさせることはできないことではない。 しかし、それは川の水を防ごうとするようなものである。 堤防が大きく切れると、人々に被害を与えることが必ず多いものである。 私には救うことができなくなってしまう。 少しずつ堤防を切って水を導く方が得策である。 私は議論を聞いて、それを役立てる方がよいと思う。」 ・ 愛知県公立高校入試過去問古文・漢文現代語訳に戻る。