サンクトペテルブルクのパラドックス。
1 期待値が発散する場合
以前、金融論に関する雑感を記事にした際、サンクトペテルブルクのパラドックスに言及したことがあった。・お金の限界効用と金融経済。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2018/03/blog-post_15.html
ヨビノリ先生の、サンクトペテルブルクのパラドックスについての動画が非常に分かりやすかったので、改めて雑感をメモしておこうと思う。
・期待値が無限大な賭け(サンクトペテルブルクのパラドックス)(YouTube)
2 賞金の上限
ヨビノリ先生の動画では、数学的に正しいとされる一つの解答を説明されていたけれど、その前座として二つの解答を簡単に説明されている。最後の数学的に正しい説明もおもしろいけれど、四分六で文系脳の私的には、前座の二つの方が好きである。
前座その1は、賞金には上限があり賭けは途中で終了せざるを得ないので、その途中までの期待値を計算すれば、直感に合致するという説明である。
ウィキペディアで「現実的な回答」として紹介されているとおり、現実に類似の賭け事が行われる場合は、これで大方説明できるだろう。
・サンクトペテルブルクのパラドックスを視覚化してみた。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2023/05/blog-post_18.html
3 貨幣の発行と資源の独占
無限の賞金など用意できないし、逆から言えば、無限に用意できるものに価値などないだろう。金本位制はもちろん管理通貨制度だろうと、発行できる貨幣量には限りがある。
無限に発行すればハイパーインフレを引き起こし、紙幣ならばまさに紙くずになるだろう。
無限の貨幣など形容矛盾と言ってもいいのではないか。
石ころや紙くずのために賭け事をする人間はいないだろうけれど、石ころや紙くずにしたって有限である。
逆に、世界中の石ころや紙くずを全て独占すれば、価値が上がって大儲けできるかもしれない。
極論すれば、勝ち続ければ世界を支配できるゲームだと考えれば、いくら払っても参加するべきだという結論は、ある意味直感に反していない。
対戦相手は神か悪魔か・・・カイジも真っ青なギャンブルである。
思考実験とは言え、ここまで空想するとやり過ぎだと思うので、ここまでにしたい。
4 お金の効用
前座その2は、お金の効用を考慮する考え方である。効用とか限界効用は、数学を駆使する近代経済学の入門で学習する、基本的だけれど非常に重要な概念である。
前座として紹介されていたけれど、これはこれで数学的に高度な考え方で、難しい計算を必要とする。
しかし、数学と言うよりも、経済学的な思考として一番説得的なような気がする。
トリッキーな数学の駆使の仕方は、いかにも経済学的なやり方だなぁ。
数学はもちろん、古典的な経済学もロジカルであり、合理的に行動できる人間を当然の前提として仮定してきた。
しかし、人間というものは理性よりも感情に左右される生き物であり、何らかの思い込みや錯覚で行動してしまう。
そういう不合理な行動をしてしまう人間を、そういう生き物として分析しようとする比較的新しい経済学が、行動経済学である。
5 無限
最後の数学的に正しいとされる説明については、詳しく言及しない。四分六で文系脳の私的には、ここまでの議論でお腹いっぱいである。
無限や極限がからむと、直感に反するパラドックスが生じやすい。
(From いらすとや)
0.999⋯ = 1 なのである。
・循環小数。:https://tanakah17191928.blogspot.com/2020/08/blog-post_52.html
・この記事を英語で読む。
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