1 原文 高野御室御寵童共の師匠の料に、孝博を鳴滝に家つくりて居ゑ給ひて、 種々御いとほしみありて、常在・参川に、箏・琵琶をならはせさせ給ひけり。 常在には琵琶、参川には箏、各器量も相ひ叶ひて、秘曲ども授けけり。 参川に千金調子授けてけりと、富家入道殿聞しめして、孝博を召して、 「実にや、千金調子、御室なる児にをしへたんなる」と問はしめ給ふに、 孝博申して云はく、「召して聞しめすべし」と云々。 之れに依りて御室へ「箏よく弾く童の候ふなる、給ひて聞き候はばや」 と申さしめ給ひたりければ、御室興に入り給ひて、参川を進ぜられけり。 御前に召して、楽などあまた引かれて後に、千金調子をひかせらるるに、 「正躰無き僻事共なり」と。 童退出せる後、又た孝博を召して仰せられて云はく、 「千金調子僻事為る由、申さしむべきなり」と云々。 孝博、「今暫く助けしめ御すべし。忽ちにまどひ候ひなむず」と申しけれど、 「僻事なり。汝も我れも存生の時、謝し顕はしめずは、後代の狼藉為るか」とて、 ありのままに御室に申さるる間、孝博不日に追却に預かり畢んぬ、と云々。 (『古事談』より) 2 現代語訳 高野御室(白河天皇の第四皇子)が寵愛する童たちの音楽の指導をしてもらうお礼に、藤原孝博を鳴滝(仁和寺の北西にある土地)に家をつくって住まわせなさった。 いろいろとかわいがられて、常在と参川に、箏と琵琶を習わせなさった。 常在には琵琶を、参川には箏を、それぞれ器量も叶って、秘曲(特別の家系または技量の者に限り伝授する秘伝の楽曲)を伝授した。 参川に千金調子(秘曲の一つ)を伝授したと、富家入道殿(藤原忠実)がお聞きになって、孝博を招いて、 「本当に、千金調子を御室の童に教えたのですか」と質問なさると、 孝博は申し上げた。「呼び寄せてお聞きになってください」ということである。 こうして御室へ「箏を上手に弾く童がいるとのこと、招いて聞いてみたいものです」 と申し上げなさったので、御室は興に入れられて、参川をお寄こしになった。 御前に招いて、楽曲をたくさん弾いた後に、千金調子を弾かせたところ、 「実体のない間違いである」と。 童が退出した後に、また孝博を招いて仰せになった。 「千金調子の件が間違いであったことについて、お話しになるべきでしょう」ということである。 孝博は言った。「今暫くお助けになってください。た...